日曜ブログ の123回目。
秋になってきましたね。エアコンをかけずに寝られる日が来ました。
それだけでテンションが上がります。
うちの社員の大半は「食欲の秋」でそうですが、
自分は「読書の秋」にします。
(でもサンマは食べたい)
老眼になったら読書も大変でしょうから、
今のうちに貪るように読みたいのです。
ちなみに
最近読んだ漫画「怪獣8号」、
めっちゃ良かったです。
時間のある方はぜひ。
さて本題。
「恵まれている」について
先日の福岡出張で、ある年上の経営者の方から印象的な言葉をいただきました。
「俺は恵まれてると思う。唐津くんもそう。
努力もあると思うけど、そもそも持って生まれたものがあると思う」
さらにその方はこう続けられました。
「自分は跡継ぎだから1を10にするのは得意だけど、
0を1にすることはできない。あなたはそれをやってきてるのがすごいね」
ありがたい言葉でしたが、正直、私はそれを「すごい」とは思ったことがありません。
ゼロから始めたのは事実ですが、それは「そうせざるを得なかった道」でしたし、
むしろ二代目として事業を継ぐ人の方が大変だろうと感じます。
親世代との葛藤、社員の目線、歴史ある組織をどう変えていくか。
その苦労はゼロイチとはまた違う厳しさがあるでしょうし。
自分だったら破壊してしまいそうです(笑)
「比較は停滞、夢中は前進」
「恵まれている」という言葉を深掘りすると、二つの軸あるように思います。
謙虚さの軸:成果を「努力だけ」と思えば慢心に繋がるが、「恵まれていた」と思えれば感謝と謙虚さを持てる。
現実の軸:人は均一ではなく、体格・知能・性格・家庭環境など「持って生まれたもの」が違う。
大事なのは、それを優劣で比べても意味がないということです。
人は誰かと比べた瞬間に、本来の力を見失うからです。
ゼロイチを切り拓く人もいれば、一を十に磨き上げる人もいる。ただの役割や貢献の違いです。
恵まれたものを持って生まれたものというよりは、
幼少期、、、大体20歳までにどういう考えで生きていたか
で形成されるように感じています。
だから若いうちの苦労は買ってでもしろって言葉があるんでしょうね。
年をいってからの苦労は2倍、3倍しないと追いつきませんし
向いていないことはいくら苦労しても難しいのが現実です。
「恵まれていないは暇から生まれる」
私自身を振り返ると、自信もバックボーンもなかったので
「誰よりも俺が一生懸命だ」と言える努力しか拠り所がありませんでした。
貧乏で選択肢が少なかった分、それは「恵まれていた」のでしょう。
そして思うのは
努力そのものに夢中になれていたからこそ続けられたということ。
いつの日かそれは当たり前になっていきました。
まあなんせ、努力しているなと自分で思っているうちは
大したことないものですからね。
そういう意味でも「恵まれていたから、やってみたら普通に出来た」という
感覚を持っている人は当たり前のレベルがそもそも高いという事もあるんでしょうね。
とはいえ、
「やったら普通に出来たけど」って言って
社員とか「やっぱり最初から出来る人がいるんだ」って
勘違いされても困るんでね。
「あの人と私は違う」という比較は人生の時間の無駄オブ無駄。
ここで言いたいのは
「暇は人間を腐らせる」という事。
夢中じゃないと、「比較する暇」が生まれます。
多くの場合、不平不満を口にする人は「行動」ではなく「暇」の中にいます。
「比べてもいいことはないぞ
人並以上の生活がしたければ、
人並以上の努力をしないとな」
p.s
努力を努力に感じないところまでいかないとな
これは社員によく伝えていることですが
今の時代、余計な情報が多く
努力をすっとばして切り取った裕福ばかり見せるので
すぐに不平不満ゾンビになってしまいますので
ご注意ください。
それに100人に好かれたり、凄いねと言われるナンバーワンを目指すより、
目の前の1人に「あなたと会えて良かった」と言ってもらえるオンリーワンを
目指す方が、結果的に大きな幸せや信頼がもたらされるもの。
比べることで得られる喜びは本当に一瞬で、すぐに虚しさが襲ってきますが
オンリーワンは信頼も喜びも長く続くものです。
(小学校で教えておいてください)
とはいえ、残念ながら
それに気付くのって中々難しいのしょう。
色んな会社を見てきて、どの会社でも同じような光景がありますから。
「自分は恵まれていない」と態度に出してしまう人は、
その瞬間に努力の矛先を外に向けてしまったり
自分以外の人間の可能性を摘もうとする。
どれだけ能力があっても、その姿勢は信頼を失わせ、
経営者がボケていなければ組織の中心から遠ざかっていきます。
逆に夢中で役割を果たし、オンリーワンとして信頼を積み重ねる人こそが、
評価され、残っていくわけです。
もちろん、経営者の目線でみれば
「この仕事を好きにさせてあげられなかった責任」と
「●●●●してしまった責任」もあるので
その人を責める事に何もプラスはありませんので、
失敗を改善に繋げるのみです。
まあ、ようするに、
目の前の役割に夢中になれる人は、
比較や不満に時間を割かないってことです
まあ
「恵みとは心の在り方」
です
子どもの頃、金銭的に裕福ではありませんでしたが、
それを「恵まれていない」と思ったことはありませんでした。
「みんなこんなものだ」と思っていたからです。
幼少期の自分にもし比べる思考グセがあったら、
とっくの昔にメンタルがやられていたことでしょう(笑)
経済的には恵まれていなかったかもしれませんが、
比べなかったから実感していない。
考えるな、感じろの世界です。
今となっては
金銭的にも、人脈とか、ルックスとか、学歴とか
いわゆる世間で言う恵まれていると言われる人を見て、
人によっては「逆に恵まれていないな」と思える事も多々あります。
結局のところ、人が「恵まれている」と思えるかどうかは、
持って生まれた条件ではなく、今をどう生きているかにかかっているってことです。
本人が納得できる自分でいるかどうかです。
子供や先祖に誇れる自分でいるかどうかです。
何かが恵まれていないのではなく
そもそも恵まれていない考え方があるってだけでね。
だからこそ時々、自分に問いかけています。
「今を、恵まれていると思えているか。
そして、その恵みに応える行動をしているか。」
まあ目の前の人から「あなたと出会えて良かった」と言ってもらえる存在になれれば、
今を恵まれていると言えるかなとは思っています。
そうしたら、
その人の為にももっと、強くなりたい、優しくなりたいと思う自分がいます。
理想に近づけばどうなるだろうとワクワクして
努力に夢中になれるわけです。
その根底は変わっていないかな。
あ、あともう一つ。
「笑えない時に強くいられたのは、
笑顔になって欲しい人の顔を思い浮かべられたから」
自分の笑顔の為に頑張る力と大切な人の笑顔の為に頑張る力は
後者が圧倒的に強い、二倍なんてもんではありません。
とはいえ、何も行動しなければ
現実は笑えない時の方が多い。
という事は
笑えない時こそ笑える強さがあれば、
どんな時も「恵まれている」に変えられるってこと。
笑えない時こそ、その人の本質が出ます。
良くも悪くもありありと。
窮地で笑えない人の多くは日頃自分しか見ていなかったり、
自分しか喜ばそうとしてこなかったことという共通点があります。
あんまりピンチはチャンスと言う言葉は
好きではないけど
ピンチにしか知り得ない事があると言う意味ではチャンスがあるのは確か。
そんな時は自分にこう言います。
「出番だな」
自分の本質と向き合うチャンスであり、
大切な人を笑顔に変えるチャンスだ。
やってきただろ?
乗り越える自信はもちろんあるんだろ?
こんな感じで。
社会に出てから26年やらせてもらっています。
いや、ほんと恵まれています。
とはいえ感謝するだけじゃ納得いかないんで
感謝をもっと行動に変えていきます。
今日はこのへんで。
ではでは。