日曜ブログの127回目。
本日は宅建試験日。
今年はうちから1名受講者がいます。
今回が初めての受検らしく、
一発で合格したら大したものですがどうでしょうね。
まあプレッシャーをかける気はありません、
ただ全力を出してくれたらいいなという気持ちでいます。
良いも悪いも結果はいきなり出るものではなく、
日々の過程で出るものですから。
あ、合格したら社員の宅建保有率は100%になるのか。
とはいえ、過去に達成したことがある数字なので
もう興味はないし、あまり意味のない数字でした。
10割じゃなくて社員の8割以上は持っていたら良いなと思っています。
ただ自分がクライアントの立場なら
宅建持っている人に相談したいし担当して欲しいなとは思うので
要らないハードルを解除するために不動産のプロをうたうなら
とっておくべき資格なのは間違いありません。
まあ、不動産のプロって言いましたけど
取ったらプロかっていったら全く違うんですけどね。
ペーパードライバーが1人産まれて
スタートラインにたっただけ。
これが現実。
実際はスタートラインに立つ事よりも
色んな経験をしてちゃんとプロドライバーになる事のほうが
遥かに難しいのです。
自分の肌感で言えば
宅建取ってから早くて3年でようやくプロっぽくなって
5年で傍からはプロに見えて、10年ぐらいでプロになるって感じです。
でも10年も情熱を継続して挑戦出来る人ってそんなにいないので
本当のプロってかなり少ないものです。
それはどこの業界でも似たようなものかもしれませんね。
どんな資格でも学歴でもそう。
取得することが、入学することが目的で、ゴールな人。
それだったら時間の無駄だからやめておきと言いたい。
うちの会社でも今、宅建以外にもFPや不動産コンサルティングマスターなどを
勉強している人もいるけど、「取得して、どう仕事に役立てるの?」って
自問自答して欲しい。
合格して「すごいね」が欲しいの?
合格してから「ありがとう」が欲しいの?
どっち??
さて本題、
「3大欲求」について
この間、読んだ本に
「人間の原動力は、
突き詰めれば三つの欲求に集約される。
・達成欲求
・承認欲求
・貢献欲求
この三つが常に入り乱れ、
ぶつかり合いながら、人は生きている。」
と書いてありました。
(今日は食欲、性欲、睡眠欲の話ではありません)
本によるとこういう傾向にあるそうな。
新人期:達成7:承認2:貢献1(行動で成長を実感させる)
中堅期:達成4:承認3:貢献3(他社視点を育てる)
リーダー期:達成2:承認1:貢献7(場を支える)
そして
リーダーの理想的比率:達成3:承認2:貢献5
だそうです。
というわけで、
正直に自己分析をしてみました。
サラリーマン時代前半唐津:達成7:承認3:貢献0(人でなし)
サラリーマン時代後半唐津:達成6:承認3:貢献1(自己中)
経営者になってからの唐津:達成4:承認2:貢献4(更生の途中)
達成欲求が強めなやつだという事が判明しました
(知ってるか笑)
あとリーダーや経営者になる人は貢献欲求が低いのはダメです。
人がついてこないでしょうから。
まあ思えば確かに若い頃は達成に突き動かされますよね。
何者でもない自分が何を出来るのかの不安を消すために
「結果を出したい」「自分を証明したい」ってなりますし、
その情熱は、人生を前に進める強いエンジンに確かになります。
ただ達成欲求が強すぎる人は疲れやすいので注意が必要になります。
そして結果が出ると、
やっかいなのが周囲から認められたいという承認欲求が出てきます。
「すごい」と言われたくて頑張るってやつです。
それも自然なことですけど、そこに長く留まると問題が発生します。
なぜか?
承認は「外側」にあるからです。
もらえなければ不安になり、褒められても一瞬で消える。
心は常に他人の評価という波に揺られ続け、安定もしない。
評価の為に自分や他人にも嘘をつくようになるし、
比べることで自分も他人も傷つけてしまうので
そこそこで制御しないといけないのが承認欲求。
自分の経験上では
さっきの本の数値とは現在は大きく異なっていて
達成2:承認6:貢献2
ぐらいの割合の人が増えているように感じます。
今の時代は言うまでもなく「承認の時代」
なので仕方がないこと。
(その対策もしっかり用意しています)
SNSでは「いいね」の数で価値が測られ、
成果より印象、挑戦より安全、真実より空気。。
人は「どう見られるか」に縛られています。
知らなくて良いことを知りすぎて、
比べなくていいことを比べて疲れているわけです。
仮想現実、加工現実だって
皮肉って私が良く言うのは、
そこに本質はないと思っているから。
私は「どう見られたか」より
「何を残したか」で輝きたいのです。
承認欲求を自分でほぼ満たせるようになると
他者からの賞賛も批判と同じぐらいの感覚で聞くことが出来ます(笑)
(私のように可愛げはなくなりますのでご注意ください)
誰かのために、組織のために、社会のために。
自分の存在が誰かを支えた。
自己満足でもいいから、自分がそう思えたらいいのです。
まだやりたいことが山ほどあるので達成は強めに出ますが
いつの日か、少しずつ貢献欲求に変わっていくのかな?
でも今も、それは何のための達成か?って、
毎回考えていますよ。
そしてこんな面倒な事なんでやりたいんかな?って
毎回思っていますよ(笑)
いつも辿り着くのは
「ただ勝つためじゃないから」
だから挑戦できるわけです。
飽きないで続けられるわけです。
自分の中で
達成欲求は自分のガソリンやアクセルになって、
貢献欲求がハンドルになっているイメージ。
承認欲求はサービスエリアで買うお土産ぐらいの副産物です。
副産物って結果ついてくるもので、
それをゴールにしない事。
承認欲求強めの人って正直うざったいでしょ?
あと
クライフの行動指針のひとつに、
「いつ誰に見られても恥ずかしくない仕事をします。」
という言葉がありますが
この一文は、まさに「どう見られるかではなく、何を残すか」という思想そのもの。
人に見られるために仕事をするのではなく、
自分の信念と誇りに恥じないように仕事をする。
それが、結果として「見られても恥ずかしくない生き方」になるわけです。
まあ承認を求める生き方は消耗します。
ジャンクフードみたいなものです。
栄養もないし、腹も膨れません。
そして、いずれ病みます。
承認は欲しがるものではなく、
残すものの中に勝手に宿るもの、
だから人の評価より、意味のある足跡を残したらいいやんと思うのです。
今日は最後に何を言いたかったかっていうと
「誰にどう見られるかの時代だからこそ、
何を残すかを意識して生きた方がかっこいいよ」
ってこと。
その軸を持つ人と組織だけが、
時代が変わっても揺るがない強さを持てると
確信しています。
今日はこのへんで。
ではでは。