代表取締役 唐津 自己紹介へ

「間違えること」について ~航海3595日目~

2025/05/11(日) 代表取締役 唐津

日曜ブログの104回目。

 

BBQ大会は意気込み虚しく結局終盤の記憶を失いました。

一生懸命段取りして楽しませようとしている社員や

社員の奥さん、旦那さんが素敵すぎて、子供たちが可愛すぎて

気付いたらウイスキーをほぼ原酒で飲んでいました。

(猛省しております)

 

そんなこんなで4月は何かとハードだったので

5月は体調改善月間として会食を半分ぐらいに減らしました。

というわけで5月はお酒を飲んでいないのですが、

睡眠の質が良くなるし、仕事のパフォーマンスも上がるし

どう考えてもお酒は飲まない方がいいです。

 

いつかやめたいけど、

ワーワーと楽しむ時間がたまにはあってもいいと思うので

作戦を作ってやっていく事にしました。

 

①    会社のイベントでは飲まない(立場を考えよう、品位も大事)

②    フォーマルな会食では飲んでもビール一択(沢山飲めないし度数が低く酔わない)

③    心許せる人かつ年に10回迄ならオールOK

 

そしてこの作戦をいつもサポートしてくれている

A氏に宣言しておきました。

 

「そうですね、その方がいいと思います」

という力強い言葉を頂きました。

 

過去に何度も失敗しているのですが、まだ諦めていません。

試行錯誤し続ける事が大事なのですよ、

どうせ無理だと思っている、そこのあなた。

 

まあどうせ飲むなら良いお酒にしたいものです。

イライラや、ストレスがあるときのお酒とか

飲みたくなるけど、基本良い事なんてありません。

(記憶とお金と健康と時間を失うだけです)

 

そうではなくて

嬉しい時、労う時、心許せる人、そんな楽しいお酒ならね

例え間違えたとしても、それなら納得もいくってもんです。

 

という感じの近況です。

頑張ります。

 

 

さて本題。

「間違えること」について

 

お酒じゃなくて、

仕事における「間違い」、についてお話しします。

 

人は、間違えるものです。

(前述の通り)

 

それは年齢や経験を重ねても変わりません。

(もう変わりたい)

 

どんなに誠実な人でも、どんなに努力していても、

「魔が差す」という言葉があるように、

ふとした感情や思い込みが、判断を狂わせてしまうことがあります。

(だって人間だもの)

 

経営していて、そうした「ちょっとしたズレ」や「思い込みの行動」が、

大きな影響を及ぼす場面に直面することがあります。

 

信頼を積み重ねるのはコツコツだけど、失う時は一瞬だという事も

何度も思い知らされました。

 

仕事における間違いは「だって人間だもの」で許してもらえる事ではなく

挽回不可能な状況になってしまうぐらいに思った方がいい。

それは最低限のプロ意識だと思います。

 

さらに、やらかした人の多くは気付かないものですが

本人が不幸なだけではなく、

支えてくれた人達も不幸にしてしまうもの。

 

先日も、ある業務上の出来事から改めて考えさせられました。

「なぜそんな判断をしてしまったのか」

「どうして事前に相談がなかったのか」

 

そう感じる場面というのは、時々あります。

 

でも、その問いの前に、私は自分に問うようにしています。

「その判断が、誰にでも起こりうる状態ではなかったか」

「それをしてしまえる仕組みになってはいなかったか」

 

間違いを責めるのではなく、間違いを生んでしまった環境や構造に目を向けること。

それこそが、経営における本質的な責任だと考えています。

 

私は会社を「個人を責める組織」にはしたくないのです。

 

どこかで「仕方がない」「このくらいは大丈夫だろう」と

思わせてしまうような環境があるなら、それを改めるのが会社の責任。

 

罪を犯す人を咎めるのではなく、罪を犯せない仕組みをつくること。

その方がずっと健全で、ずっと強い組織になると思うからです。

 

だから性善説でなんか経営をしていません。

とはいえ人を疑っているわけではありません。

疑っていたら人なんて雇えません。

 

経営やリーダーシップは「人を信じ抜くこと」からしか

スタートしませんので。

 

というわけで

良くなるための仕組みやルールがあり、

それらが改善され続けながら存在するのですが

曖昧だったり、妥協が許されるようなものはなんせ嫌いです。

 

それを自由と呼ぶ人もいるかもしれませんが

「責任のない自由」は「自分勝手」でしかありません。

 

ここまで考え抜いて出来た仕組みでも「魔が差す」人がいるなら

そもそも「採用が間違っていた」と思うしかないかぐらいのレベルまで

いつも考えるようにしています。

 

とにかく罪を犯した人を責めればいい、

個人の問題だっていう考え方が

今だけの解決にしかならないから嫌いなのです。

 

もちろん、

何でも許すわけではありません。

 

信賞必罰

泣いて馬謖を切る

 

これは自分の中では徹底しているつもりです。

どんなに実績があっても、役職があっても、ベテランでも

ダメなものはダメ、贔屓したり、情を介する事はしません。

 

「情を持って日頃接するけど、判断には一切の情を介さない」

と社員にもいつも言っています。

 

それは「一線を超えるな」と。

その一線を越えたら情を持った対応が出来なくなるという警告です。

 

いくら日頃フレンドリーだとしても

冷酷と感じるまでの厳しさは経営者として必要なのです。

 

ルールを定めた以上、それを逸脱する行為には、しっかりと向き合うのは当然。

ですがそれも、「正す」ことが目的であって、「罰する」ことが目的ではありません。

 

私は、失敗を受け止めます。

最終的に責任は経営者しかとれないのは事実ですが

都合の良い時は自分の手柄、都合の悪い時は他人や環境のせい。

嘘やごまかすこと、責任を投げ出すことは受け入れません。

 

一緒に積み重ねてきた時間や信頼を守りたい

その気持ちからです。

 

だからこそ仕事への責任よりも自分の感情が優先するような人には

仕事は任せられないのです。

 

これからも、うちの会社は、

「間違えることを責める」のではなく、

「間違えたくても間違えられない組織をつくる」ことに力を注いでいきます。

 

それが、経営者として、私の矜持です。

 

あともう少しだけ。

 

うちの会社では「犯人捜しをするな」と言っています。

 

捜す必要はないのです。

本当はわかっているからです。

 

間違えてしまったって

やった本人が確実にわかっているでしょう?

 

その後悔の気持ちを打ち明けられずに日々過ごさせて

しまって申し訳ないなとすら思います。

 

良かったら、「あの時はごめんなさい」と

素直に打ち明けて欲しいなといつも思ってはいますけどね。

難しいのかな。

 

「ごめんなさい」と「ありがとう」を

阻害するようなプライドなんて捨てた方が

よっぽど信頼されるから勇気を出して欲しいなと

これまた、いつも思っています。

 

大人になっても謝っているのがカッコ悪いのではなく

大人になってもカッコつけて謝らないのがカッコ悪いのです。

 

自分の非を認めて自分から謝るべきは謝る。

これはカッコ良いですよ。

また頑張れよと応援したくなりますよね。

 

まあいっても、

そんなに悪い人は採用していません。

 

信じています。

 だからこそ、責めたくないのです。

 

あいつは信じて、こいつは信じない

とか、そんなややこしい事するぐらいなら

経営をやめた方がいいとすら思っているので

頼むから素直でいて下さい(笑)

 

今回何が言いたかったかって言うと

 

「責めるのは自分と会社の仕組み。

その2つだけは自分で変えることが出来る。」

 

ってこと。

 

 

今日はこのへんで。

ではでは。

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