日曜ブログの130回目。
「先週ブログの更新が無かったのですが、
体調崩されていませんか?」
と珍しい優しい読者の方からメッセージを頂きました。
全くもってその通りです。
でも、その優しさで今こうして筆を進めることが出来ています。
ありがとうございます。
病み上がりからの会食が続きまして、疲弊していました。
こんな日々でした。
① 食事のバランスがとれない
(太りたくないから会食の時は一日一食にしたのが失敗)
② 睡眠不足が続いた
(飲むな、早く帰れ、ホスピタリティ発動さすな)
③ 疲れすぎてジムにも行けず、ストレス発散できず
(行っていたら疲労で更に体調悪化していたのでこれは偉い)
ということでまた喉が痛くなってきています。
インフルが流行っているらしいのでもらうのも、うつすのも嫌。
とはいえ、運動出来ないのは困ります。
運動は最高の精神安定剤ですから。
まあウダウダ考えて行動しないと死んでしまう性格なので
コンパクトサイズのトレッドミルを先程ポチりました。
(大型ゴミになりませんように)
届き次第、毎朝室内で30分早歩きしてみようと思います。
あと今週は出来るだけノンアルで過ごして
出来るだけ睡眠とって、来週にはジムに復帰できるといいな。
さて本題。
「アマノジャクな理由」について
最近、ある知人の出来事をきっかけに
改めて「人はどこで足をすくわれるのか」を考えることがありました。
元々彼は仕事が出来る人間で最近はとにかく業績好調で
さらに勢いに乗っている様子で、周囲の仲間からも賞賛を浴びて盛り上がっていました。
周りも本人も勢いの風を感じていたと思います。
しかし、僕はその時に「危うさ」を感じざるを得ませんでした。
そしてその直後、嫌な予感は的中し、
とある契約において彼は危機的状態に陥り、
本人の評価もガラッと変わってしまいました。
たった一契約。
されど一契約。
調子に乗っている時ほど、一契約の破壊力は大きくなるもの。
僕はこの話を聞いて心の中でこう呟きました。
「やっぱり調子が良い時が一番危ない。
一番大きな穴が出来るのも調子が良い時やな」
なぜ嫌な予感がしたのかには理由があります。
まず一つ目は、仲間の高評価ほど危険なものはないという事。
親しい人間の褒め言葉は増幅装置になります。
必要以上に持ち上げられる
↓
テンションが上がってしまう
↓
自分までも浮いてしまう
こういう時が落とし穴の口が大きく開くタイミングです。
昔からよく見てるからわかります。
「仲間から褒められた瞬間におかしくなる人」
そして残念ながら
「褒めることで人を落とそうとする人」もいることを。
やらかした後に言うセリフはいつも同じ。
「そんなつもりじゃなかった」
事故っていうのはそんなつもりじゃなくても起こるわけで
浮かれている人に浮かれているよって毎回注意してくれるほど
優しい社会でもないのです。
それこそが調子の良さの怖さです。
僕自身、
ずっとアマノジャクだと言われてきました。
周りに褒められても、うまくいっても、どれだけ評価されても
必ず心のどこかで思っています。
「ほんまにそうか?」
この疑ってしまう感覚を昔は欠点だと思っていましたし
素直に喜べない自分が嫌でした。
でも、経営者として10年以上やってきて分かったのです。
「アマノジャクぐらいが一番ちょうどいい」
アマノジャクという自分を自分から疑う癖は
勢いを警戒する癖であり、調子の良さを割り引いてくれるのです。
これは短期戦では不利になることもありますが
経営という長期戦においては圧倒的な武器になります。
・調子が良くても浮かれない
・周りの評価で浮かれない
・俯瞰して自分を見る
・膨張しない
結果事故を起こさない。
きっとアマノジャクのおかげで何度も救われてきたはずです。
とはいえ、世の中が僕のようなひねくれ者ばかりでは困るので
頭の中で整理したことを紹介しておきます。
◆唐津式 調子が良い時に、冷静さを取り戻す習慣
①勢いのまま話さない、決めない
調子が良い時の言葉は軽くなりがち。その軽さが危険
②褒め言葉ほど一旦保留にする
仲間の褒め言葉は3割増しぐらいに浮かれてしまうものなので、
そのまま真に受けるのは危険。
褒め言葉は最低3割引きにしとけ。
③成果を自分のおかげにしない
努力×仲間×運×タイミング
この全部が整っただけ。そう思えば天狗にならんで済むぞ。
この特に③が自分の中では大事な考え方かなと。
「俺すごいだろ」じゃなくて「みんなありがとね」
ってスタンスでいたいのです。
特に「俺すごいだろ」は20代の時にやり切って卒業しておいた方がいいです。
40代以降になってやると、痛々しいまでにダサくなりますから。
そう、ここに真実があります。
「人は強い時ではなく、
強くなったと勘違いした時に崩れる」
だからこそ、調子が良い時はあえて疑う。
褒められた時ほど引き締める。
つまり、自分の中でのアマノジャクという性格は「ひねくれもの」ではなくて
「防御力」そのものなのです。
真に受けず、膨張せず。調子に流されず、原点を忘れず生きるために。
そして他人に対しては「素直に感謝している」ことは示します。
じゃないとひねくれ者じゃなくて嫌われ者になる事ぐらいわかっています(笑)
あくまでアマノジャクなのは自分に対してで
他人に対してのアマノジャクは失礼になるので気を付けないとね。
まあ良い意味で「真に受けていない」だけで
自分自身に「●●さんが褒めてくれているけどどう思う?」って聞いてから
受け止めるようにしています。
というわけで、
僕はこれからもアマノジャクぐらいでちょうどいい
そう思いながら生きていく事でしょう。
それが一番自分に素直に生きていける方法だと思うので。
今日はこのへんで。
ではでは。
