日曜ブログの102回目。
春ですね。
なんだかんだ言って春が一番好きかもしれません。
タケノコも山菜も美味しいです。
子供の頃はそんなに好きじゃなかったはずの
ものが美味しく感じるなんてね。
GWはバーベキューの予定がありますけど
お肉はそんなに食べれないだろうな。
すっかり中年大人になったものです。
お酒を飲む回数は減らしているけど
飲むときは沢山飲んでしまいます。(翌日の反省はセットです)
そのうちそんなに飲めなくなる日が来るのでしょうか。
同じような日に見えても
同じように楽しんでいるかはわからないわけで
そう思うと季節の移り変わりは同じように見えても
自分や、一緒にいる人、環境も毎回変わっているなと。
となると一緒にいる人、そこにある環境っていうのは
当たり前では全くなくて
「ともに変わっていっている」けど
方向性が同じだから一緒にいるんだなと思うのです。
逆に離れてしまった人について
「あいつは変わった」なんて人のせいにする気持ちはありません。
それぞれが変化していく過程の中で
かみ合わなくなったりする事は当然なので。
それに自分を変えようとしないで
他人の変化を責めるのってダサいのでしたくありません。
まあ反省なんて沢山あって
過去に人間関係が上手く行かなかった事なんて両手両足でも足りません。
ただ、
そのたびにこう思うようにしています。
「ただ僕が変わった」
もちろん自分の未熟さも否定できないですし
何より、相手のせいにしても仕方ないからです。
本当は一緒にいたくて、
一生懸命導こうとしても
結果本人が変わらない事、方向性が違うなら
一緒にはいられない事ってのはどうしてもあります。
だから、
だからこそ、
変化して、進化に挑戦して、その中で傍にいてくれる人は
神様のプレゼントのように感じるのです。
そんなプレゼント達にお肉とお酒でねぎらう機会に
なればいいなと思って企画されたバーベキュー。
今回は家族参加なので奥さんやご主人、お子さんと話せるのを
特に楽しみです。
自分の一番の課題は
「酔っ払って記憶を無くさないこと」
これは変わってないな(笑)
気を付けます。
さて本題。
「調子が悪い」についてです。
「あかん、なんか最近調子が悪い。」
これは結構聞くフレーズかもしれません。
体調ならOK。
花粉症で目がかゆいとか
昨日辛いもの食べてお腹が痛いとか
そんなのならね。
今日はそういう話じゃなくて。
仕事についての調子。
仕事で調子が良いって時ってありますよね。
学んでいる事がすぐに実践で活かせるとき
提案がすぐに通った時、
競合したプレゼンで選んでもらったとき
とかね。
調子が良いと言う事は
「何かしら結果が出ている時」
ただし注意すべき点は
理由が無くても結果が出ている時と
理由があって結果が出ている時と
両方同じようで全く違うという事。
今の調子の良さというのが
言語化出来ないと継続はしません
大事なのではっきり言いますけど
絶対にです。
なので調子が良い時っていうのは
基本浮かれている場合ではないのです。
なぜこの結果が出たのかという
分析をする時間なのです。
あの日、あの時、あの場所で
こういうやりとり、こういう言葉を交わして、、
これを自分の頭の中でムービーにして
再現して「ああ、だからこの結果になったのか」と。
そして出来たムービーを家族でも同僚でも友達にでも
伝えて「調子の良い状態」が継続し
当たり前のレベルアップが完成するわけです。
つまり調子が良いというのは
思ったよりも自分はもっと出来るという伸びしろを
確認出来るチャンスタイムで、
それを「当たり前化」する作業を
繰り返すことで成長していくという寸法なのです。
そして次に
仕事の調子が悪い時
これも同様にムービーを作って修正してという作業が
必要です。
これをしないと同じ失敗を繰り返します。
同じ失敗を繰り返すと信頼を失います。
なおかつ仕事において失った信頼は
しばしば取り返しがつかない事もあります。
家族などと違って他人の場合は
たった一度でも見限られたり、
そういう人だとレッテルを張られて
どんなに良く変わっても評価が変わらない事があります。
そんな場面を何度も見てきたらからこそ
素直、謙虚、真剣がどんだけ地味でもダサくても大事だって
森脇健司さんのように言い続けているのです。
(うちの会社の社員は耳にタコかイカが出来ても言われ続けています)
しかし残念ながら
「あかん、調子が悪い」と原因も追及しないで
考えないようにする人もいますよね?
美味しいごはん食べよう♪
友達と遊ぼう♪
旅に出よう♪
酒でも飲もう♪
「♪じゃねーよ」
とツッコまざるを得ません。
20代前半の自分にはツッコミどころか
腹パンしてやりたいです。
ずばりストレス発散すれば調子が戻るというのは
まったくもって愚策、何の本質も捉えていません。
ストレス発散と聞こえの良いことをいって
現実逃避、責任回避して
上辺付き合いの人間からの慰めか、SNSでいいねもらっても
何も現実は変わりません。
上辺の慰めは「同情と言う名の見下し」、
他人のいいねは「どうでもいいね」に極めて近いのです。
じゃあ調子が悪い時とは何か?
これは自分含め他人の調子が悪いときをみて
確信に近いものがあります。
「調子が悪いのではなくベースが無い」
ベース、つまり基礎がないのです。
勢いに任せて出た結果、
誰かにサポートされまくって出た結果、
結果が出るから実力があると勘違いし
基礎がないから崩れる時は一気に崩れてしまう。
これが「調子が悪い」の正体です。
なので自分は調子が悪いなと思う時は
基礎に戻るようにしています。
帰るべき原理原則、基礎、ベースが
あればまた調子を取り戻せるからです。
調子が良い時のハウツーなんて気にしなくていいです。
基礎が崩れている時にそんなものは使えないのです。
調子が良い時の成功パターンを夢見て失敗したり
空回りする人はこの視点が抜けています。
何が言いたかったかって言うと
「ここにさえ帰ってくれば
元に戻れるというホームがあれば
調子が悪い時なんて怖くないよ」
ってこと。
そんなホームがない?
無い事を嘆く暇なんてありません。
なければ作るしかないです。
とはいえ、
ホームは急いでは作れない。
コツコツと積み上げて築き上げるものなので。
無い事に気付いた時が始める時。
今までサボっていたんだから
二倍も三倍も労力はかかるし
失った信頼の分、辛い事も多いでしょう。
それでも早く取り掛かるのに越したことはありません。
自分の人生の責任は自分でしか取れない。
自分のホームは自分で作らなければいけない。
誰かのせいにしたって始まらない。
調子が悪いんじゃなくて、
基礎を疎かにするような怠惰で
傲慢な自分がいるだけだ。
そう自戒し続けています。
今もね。
今日はこのへんで。
ではでは。