日曜ブログの173回目。
ようやく秋を感じるようになった。
先日、腰痛対策にマットレスを入れ替えようと発注し、
家で配送を待っていたのだけど、指定時間を過ぎても来ない。
忙しいんだろうな。
家を出たいけど、まあ待つか。
そう思って待つこと2時間。
ようやく来てくれた。
「遅くなってすみません」
と、申し訳なさそうに配達員さんが言った。
「いいですよ。天気も悪い中ありがとうございます」
と、アンガーマネジメントに成功した僕が言うと、
「いやー、今日は配送が多くて。
ラッキーですね!
お客さん、記念すべき100個目の配送です!」
と満面の笑みで言い残し、彼は去っていった。
その背中を見ながら、思わず笑ってしまった。
そして思った。
元気があればなんでも出来ると。
さて本題。
「自分の仕事をなくせる人」について。
自分の仕事を、自分にしか分からない仕事にする。
自分しか出来ない仕事をたくさん作る。
そうすることが自分のポジションを守ることであり、
自分の存在価値だと思っている人がいる。
「これは僕しか分からない」
「これは私にしか出来ない」
確かに一瞬は優秀に見えるし、周囲も困るから頼られる。
本人も「頼られている」と思う。
でも、それって実力というより魔法に近いんじゃないかと思っている。
魔法にかかる人もいるし、かからない人もいる。
かからない人からすると、一生懸命魔法をかけようとしている姿は、かなり残念に見える。
そして何より、魔法はいつか解ける。
その時に明らかになる実力と人望の無さ。
そして「この人がいないと何も分からない」という面倒くさい仕組み。
これは今まで色んな人を見てきて、
反面教師として学んだことのひとつでもある。
僕自身、20代の頃は完全に属人的な働き方をしていた。
不動産管理の仕事で、サラリーマン時代には約1000戸を一人で担当していた。
業界平均からすると、おそらく倍ぐらいになる。
今の会社のようなチーム制もなければ、サポートしてくれる体制もほとんどない。
電話も来る。クレームも来る。退去もある。工事もある。オーナーからも呼ばれる。
1000戸もあれば、毎日何かしら起こる。
まあ、そりゃそうだ。
1000戸あるのだから。
ただ、ブラック企業だとはあまり思っていなかった。
理由は単純で、給料が良かったからだ。
高卒の自分からすると十分すぎる給料をもらっていたので、
「これだけ貰えるなら、これぐらい働くか」ぐらいに思っていた。
若かったのもあると思う。
ただ、ある程度稼げるようになって思ったことがある。
贅沢って、そんなに面白くない。
もちろん美味しいものを食べれば美味しいし、
欲しかったものを買えば嬉しい。
でも、その嬉しさの消えるスピードの早い事早い事。
食べたら終わり。
買ったら慣れる。
酒を飲んで楽しかった夜みたいに、
翌日にはだいたい消えている。
「こんなもののために俺は頑張っているのか?」
そう思うようになった。
このまま同じ仕事を抱え続けていれば、しばらくは稼げる。
「あいつは仕事が出来る」ぐらいのマウントも多少は取れるかもしれない。
ただ、それには条件がある。
自分がずっと健康であること。
ずっと体力があること。
ずっと衰えないこと。
うーむ。
そんな人はいない。
僕も歳を取るし、今出来ていることが10年後も同じように出来る保証なんてどこにもない。
それなら一回、自分の仕事をなくしてみようと思った。
思い立ったら吉日。
自分が持っていた担当物件を、3人の後輩にほぼ全部引き継いだ。
周囲からは、
「アホやな、給料減るのに」
「あいつ、これから何の仕事するん?」
そんな声も聞こえていた。
まあ、そう言われるだろうなと思っていたので全く気にならなかった。
問題ない。
大切な人ではない人達がいくら笑おうが構わない。
給料が減っても、納豆とご飯があればしばらく元気に生きていける。
それよりも、失敗したらどうしようより、
このままでいて後悔したらどうしよう、の方が圧倒的に嫌だった。
実際、引き継いだ直後の2、3ヶ月は給料が減った。
それも予想通り、当然だ。
今まで自分がやっていた仕事を、自分から手放したのだから。
ただ、その代わり時間が出来た。
その時間で勉強したし、今までやっていなかった新規の案件にも取り組んだ。
新しい分野の仕事にも手を出した。
後輩に任せた以上、今度は人を育てることも仕事になった。
当然、たくさん失敗もした。
「自分でやった方が早いやん」と思ったことなんて何回あったか分からない。
というか、最初はほぼ毎日そう思っていた。
でも、自分でやった方が早いからと全部自分でやっていたら、一生そこから出られない。
結果的に、数ヶ月後には以前より給料も増えた。
ただ、それ以上に大きかったのは、
自分に出来る仕事の種類が増えたことだった。
1000戸を担当出来る人。
から、
1000戸を人に任せて、新しい仕事を作れる人。
に少し変わった。
この違いは大きかったと思う。
仕事を人に渡すと、自分の価値がなくなるんじゃないか。
自分の給料が下がるんじゃないか。
自分の居場所がなくなるんじゃないか。
そんな不安は分かるし、僕にもあった。
でも今は、同じ仕事をずっと自分だけで抱えている方が危ないと思っている。
その仕事がなくなれば、自分の価値も一緒になくなるからだ。
自分の仕事がなくなったら、次の仕事を作ればいい。
それも出来るようになったら、また人に渡す。そしてまた次へ行く。
多分、仕事ってその繰り返しなんだと思う。
もちろん、無責任に放り投げればいいという話ではない。
任せる以上は教えないといけないし、仕組みにもしないといけない。
失敗した時は自分が責任を取らないといけない。
任せた相手が失敗した時に、「だから俺がやった方が良かったんや」
なんて言う上司は最低だ。
それは任せたのではなく、ただ仕事を振っただけ。
自分にしか出来ない仕事を増やして、自分の居場所を守る。
昔の僕なら、それもひとつの働き方だと思っていた。
でも今は、もうそうは思わない。
情報も仕組みも共有して、自分がいなくても回る仕事を増やす。
その分、自分はまた誰もやっていない仕事をする。
その方が自分も成長するし、周囲も成長する。会社も強くなる。
考えてみれば、社長という仕事もそう。
「俺がいないとこの会社は回らない」
という社長は、一見すごそうで、
実は会社としてはかなり危ない。
僕自身も、自分がいなくても回る会社にしたいと思っている。
そして空いた時間で、また新しいことをやればいい。
最終的に、「唐津さん、もうやることないですよ」
と言われたら最高だ。
多分また勝手に何か始めるので。
(迷惑かもしれないけど)
自分の価値は、自分にしか分からない仕事を抱えていることではない。
自分がいなくても出来る仕事を増やして、自分の仕事をなくしていく。
そして、また新しい仕事を作る。
そんな人の方が、結果として仕事はなくならない。
……と偉そうに書いていたら、お腹が空いてきた。
というわけで今日は納豆ご飯を食べるとしよう。
今日はこのへんで。
ではでは。
【今週のQ&A】
Q.人に任せた仕事でミスをされた時、どこまで口を出すべきですか?
A.これは今でも難しい。
ミスを見ると、つい口も手も出したくなる。
「もうええわ、俺やるわ」と言った方が、その瞬間だけ見れば早いけど
それを繰り返すと相手は育たないし、こっちも永遠に忙しい。
致命傷にならない範囲で最後までやってもらう見極めはきっと経験から学ぶしかない。
転ばないようにするのではなく、転んでも起き上がれる場所はどこか?
そして本当に崖から落ちそうなら止める。
教育だからと言って、崖から落ちるところを腕組みして見ていたら、それはただの変な人だ。
僕たちはライオンではないのだ。
任せると放置は違う。
この線引きは、たぶん永遠に勉強なんだと思う。
