日曜ブログの178回目。
喉だけがまだ痛い。
不健康なのに健康診断に行ってきた。
コレでは不健康診断だ。
皮肉なものだが、11、12月はスケジュール変更が難しいから行くしかなかった。
週1、2回の会食を除けば、あすけんアプリで1800kcal以内に収めながらPFC管理。
週2回ペースではあるけどジムにも行っている。
間食はなるべく避け、揚げ物なんてもってのほか、基本は肉よりも魚。
そんな日々を健康診断の日に向けて過ごしてきたのだ。
だから去年よりも良い結果が出るはずだと楽しみにしていたのに、
まさか当日に不健康だなんて神の存在を疑った。
だが仕方がない。
また来年の楽しみにしよう。
今わかっている範囲では、血液検査の結果に異常値なし。
とりあえず、日々の努力は無駄ではなかったようだ。
ただ、残念すぎる現実を突きつけられてしまった。
ガーンって音が頭の中で鳴り響いた。
身長が0.5センチ縮んで、
170センチ台でなくなったのだ。
以前、
「身長170センチ以下の男には人権がない」
という趣旨のネットニュースを見た。
どうやら、
僕は人権を失ってしまったようだ。
ただ、、、
よく考えてみたらSNSインフルエンサーなんぞに
僕の人権を剥奪する権利などない。
それに、日本には四捨五入という素敵な考えがあるではないか。
つまり、165センチまではほぼ170センチみたいなものだ。
そもそも身長ごときで人を好きだの嫌いだのいう人間なんて、こちらから願い下げだ。
一切仲良くするつもりはないので、
僕の視界に入らない世界で楽しく暮らして欲しい。
うーむ。
言い回しがキツくなっているあたり、
まだ気にしているようだ。
どうやったら身長が伸びるのか、
それもこの一年の課題である。
さて本題。
「敷居が高い」について。
別に健康オタクなわけじゃないが、
年々健康の大切さが身に染みる。
40歳を過ぎてから、体力と回復力が格段に落ちたと感じる。
そして経営者にとって体力は重要なポイント。
体力が能力差を覆すケースも何度も見てきた。
病気になって会社が傾いたなんてことになれば
悔やんでも悔やみきれない。
地縛霊かキョンシーになってしまうことだろう。
想像するだけで、申し訳なさしか募らないが
時の流れは残酷なもの。
昔と同じように過ごしていても、
昔と同じようにはいかない。
好きなものを好きなだけ食べて、ゴロゴロしていて、
いつまでも元気でいようなんて都合が良すぎることは
もうわかっている。
まあ、そもそも昔は40歳ぐらいが寿命だったわけで今は倍近く伸びている。
だけど健康寿命が伸びたわけではないのだ。
40歳以降の人生を楽しむ条件として多少の制約があって、
それが「健康を意識した生活をする」だとしたら、
大した苦労でもないと思うのだが、どうだろう。
正しい、正しくないではなく、
僕はそう思った方が健康的な思考だと思うのでそうしている。
自分がぽっくり逝く恐怖よりも、
逝ったあとに迷惑をかけたくない気持ちの方がかなり強い。
今、僕がいなくなろうものなら、
家族だけでなく会社、その関係の皆さんに多大な迷惑がかかる。
少なくともあと4年。
準備に時間が必要だ。
意識が高いとかストイックとかそんなんではなく、
ええ年こいて自分の食欲ごときを制御出来ないで
周りに迷惑をかけるなんてダサすぎる。
自分が保身しか考えていないような老害で苦労した分、
彼らのように晩節を汚したくないし、自分は潔く立つ鳥跡を濁さずでいたい。
それだけだ。
「お気に入りの食事を我慢するなんて人生が終わったようなもの」
そう思う人がいるのもわかる。
でも僕の人生は終わっていない。
やめる必要もない。
むしろ、たまにのご褒美にすることで、
本当の美味しさに気付けたように思っている。
前は食べたいから食べていたのか、
ただ目の前にあるから反射的に食べていたのか。
怪しいものだ。
そして中には、
意識が高い人自体が嫌いな人もいる。
それもわかる。
僕もナルシストでも何でもないし、
自分の見た目は最低限の清潔感があればいいと思っている。
(身長だけは少し気になるけど)
ただ、「意識が高い人は苦手」と言っておけば、
自分がやらない理由にはなる。
便利な言葉だ。
本当は、やってみたい気持ちもある。
でも、自分がやる側になると急に難しそうに見える。
「自分にはちょっと敷居が高い」
だからやらない。
今日このブログで伝えたいメッセージはここにある。
みんなが「だからやらない」と思う。
だから、やる価値がある。
ミスターチルドレンもこう言っている。
「高ければ高い壁の方が
登った時気持ちいいもんな」
最初は低い壁を越えるところから始めればいい。
でも、越えられるとわかっている壁だけ選んでいたら、
いつまでも景色は変わらない。
僕は、越えられる壁を器用に越えていく人よりも、
高い壁にぶつかりながら、それでも乗り越えようとする人が好きだ。
うまく登れなくてもいい。
けど登れない山などそうそうないし、
登った時の達成感を一緒に味わいたいという
自分のエゴも隠すつもりもない。
要するに、
登山家みたいな人と一緒に仕事がしたいし、
挑戦する姿勢がある人とチームを作りたい。
うちの会社の入社面接で「敷居が高い」という声をたまに聞くことがある。
確かにほとんどの担当者は、
宅建をはじめ、不動産関連資格を10個前後持っている。
今だけを見れば、能力が高い人でなければ務まらないように感じるかもしれない。
しかし現実は、これらの資格は入社後に取得したものがほとんど。
資格がないどころか、不動産業界未経験で入ってきた人も多い。
誰だって最初は未経験で、資格もない。
周囲の仕上がったように見える人を見て、
少し怖気付いてしまうのもわかる。
でも、その人たちだって最初から仕上がっていたわけじゃない。
僕も含めてそうだ。
貧乏、学歴なし、資格なしの僕は、
当時、常にこう思って仕事にあたっていた。
「でも、自分が一番、目の前の人に一生懸命になっている」
これは今でも、
最も実践に使える考え方だと信じている。
知識や経験では勝てない。
そんなことは自分でもわかっている。
それでも、一生懸命になることでは誰にも負けないというのはいつでも出来る。
金持ち、学歴あり、有資格だとハングリーさを欠きやすいという話も聞く。
もちろん人によるけど、一生懸命にならなくても、
それなりに何とかなるということなのだろう。
一生懸命にならなくてもいいという、選択肢がある
幸いにも、僕には選択肢がなかったから、
「一生懸命になる」というアホの一つ覚えを躊躇なく選ぶことが出来た。
そうやっているうちに、
出来なかったことが少しずつ出来るようになった。
そして、
「同じ人間なのだから、
やってやれないことなどない」
という思考に辿り着いた。
最初からそう思えていたわけじゃない。
一生懸命やっていたら、そう思えることが増えてきたのだ。
一生懸命の中身を少しだけ分解すると
それは「圧倒的な量」であり、クオリティなんかではない。
誰よりも時間を使って、考えて、準備して、行動していたら
デフォルトとして競争相手の最低二倍はやっているなと思える状況になり、
それが当たり前になり、また一生懸命のレベルが上がっていくというイメージだ。
そこでわかった。
「敷居が高い」なんてのは、
やらない選択肢があるから言える言葉
「やれるかどうかわからない」もそう。
本当にわからないこともあるけど、
やりたくない理由として使っている時もあるんじゃないだろうか。
一度、自分に聞いてみた方がいい。
「やれないのか。やりたくないのか。」
間違っても私には聞かない方がいい。
「賢くない人に限って、考えすぎる」
きっとそう言われるのがオチだ。
そして、1人では出来ないことが、
2人、3人なら出来ることもあるから仲間は大切だ。
自分が「無理かもしれない」と思っている横で、
「こうしたらやれるんじゃないか」と考えている人がいる。
その人と一緒にやってみたら、
本当に出来てしまうことがある。
そんなシーンを何度も見てきたから
これは夢物語でも熱血スポ根の話ではない。
資格がなくても、経験がなくても、
今から一生懸命になることは出来る。
「四の五の言わずにまずは量をやりなはれ」
というシンプル極まりなく、原理原則的な話なのだから
理解してもらえると有難い。
効率的かどうかなんて関係ない。
「こんだけやったんだから」が、その気を育てるものだ。
ビハインドから始めるときはいつだってそう。
やる気になるよりも、その気になればいい。
やる気があってもダメな時ってのは、その気になっていないからだ
自戒の念を込めて。
今日はこのへんで。
ではでは。
