日曜ブログの177回目。
季節の変わり目。
風邪どころか、インフルエンザも流行っているらしい。
とはいえ、いかにも風邪を引きやすい時期に、律儀に風邪を引くのは軟弱な人間のやること。
割と健康意識が高い僕には無縁の話だ。
喉が少しイガイガするけど、これはイベントでスピーチしたのが原因。
腰が痛いけど、ブロック注射の効果が薄れてきただけ。3回目を打ちに行けばいい。
食欲が湧かないけど、ジムに行けていないから体が燃えていないだけだろう。
次に、寒気までしてきた。
うーむ、間違いない。
咳も出るし、鼻水も出る。
これは完全に風邪だ。
健康意識が高いとか調子に乗っていた自分への天罰と受け止めざるを得ない。
これだけ症状が揃うまで認めないあたり、意識が高いというより往生際が悪い。
あらかた出張やイベントが片付いて、しばらくはのんびりできると思いきやコレ。
気を張っていた反動なのか、単に疲れが溜まっていたのか。
とにかく、休んでおけということだろう。
不健康になると、健康のありがたさがよくわかる。
普段は当たり前すぎて忘れているけど、何をするにもまず元気でないと始まらない。
龍角散が手放せないが、
早くこの関係性を終わらせたい。
今カラオケに行ったら、何を歌っても天龍源一郎になるだろう。
それはそれで面白いが、そこまで体を張るつもりはない。
さて本題。
「いつまで一人で駆け上がるのか」について。
前回のブログを読んだ方から、「やっぱり成長しないと衰退しますよね」という感想を頂いた。
確かにそう。
ただ、成長については少し誤解もある気がするので、
今日はそこをサクッと掘り下げようと思う。
(早く休みたい)
「現状維持は衰退である」
という有名すぎる言葉がある。
世の中も周りの人も変わっていく以上、
自分だけ今のままで安泰というわけにはいかない。
だから成長しないといけない。
でも、心の底では成長より安定を求めている。
できれば今のまま、安心して暮らしたい。
そんな人もいるんじゃないだろうか。
(ということも理解できるようになった)
僕は成長したいという気持ちと、
置いていかれたくないという気持ちの両方で走ってきた。
安定など考えもせず、成長一択だったと言っていい。
人生とは、下りエスカレーターを上るようなもの。
立ち止まれば下がっていくから、足を動かし続けるしかない。
(なんてマナーの悪いやつだ)
どうせ上るなら楽しむしかない。
そう思ってやってきたけど、ふと考えた。
これ、いつまで上り続けるの?
若いうちは勢いで何とかなるだろうが、
いつか疲れるし、体力も落ちる。
頑張れなくなった途端に下がっていくなら、
安心できる日は一生来ない。
それは絶対に困る。
そこで僕も色々考えた。
①ぶっ倒れるまで駆け上がる
②途中で横に抜けて休む
③そもそも、エスカレーターを止める方法を探す
最初の僕は、ほぼ①だった。
自分がもっと働けばいい。
もっとできるようになればいい。
でも、この方法には致命的な欠陥がある。
僕が頑張らないと回らない。
知識を増やす。資格を取る。技術を磨く。
それでできることが増えると、仕事も責任も自分に集まってくる。
できるから頼られる。
頼られるから、もっと頑張る。
もっとできるようになって、さらに忙しくなる。
成長しているはずなのに、なぜか休めなくなる。
そう、自分の能力を上げるだけでは、
下りエスカレーターを速く上れるようになっただけなのだ。
これを僕はラットレースのようなものだと思っている。
できれば若いうちから、自分一人で何とかする働き方を見直しておきたい。
「自分でやった方が早い」で実績を積むほど、その成功体験を手放すのが難しくなるからだ。
ところが、周りを見ていると不思議な人がいる。
僕ほど走っていないのに、着実に前へ進んでいる。
何か問題が起きても、一人で全部抱え込んでいない。
本人が休んでいる間も、下がることなく物事がちゃんと動いている。
下りエスカレーターの速度が遅いどころか、
上りに変わっているようにすら見えた。
どうすれば、そうなるのか。
随分時間がかかったけど、
その人たちに共通していたのは、本人の能力だけではなかった。
「本物の仲間がいる」
昨日今日の付き合いではない。
何年もかけて信頼を積み上げてきた、
自分がいなくても頼りになる仲間がいた。
これは、ただ同じ会社にいるとか、飲み会で盛り上がったとか、
異業種交流会で名刺を交換したとか、そんなレベルではない。
壁にぶち当たって、一緒に頭を抱えた仲間。
失敗した時に、逃げずに向き合った仲間。
まだ何者でもなかった頃から、小さな約束を守り、信頼を積み上げてきた仲間。
そういう人たちと、連携して仕事が回る仕組みができていた。
仕組みだけつくっても、お互いを信用していなければ任せられない。
仲が良くても、役割や判断が全部自分に集まっていたら休めない。
信頼関係と仕組み。
その両方が揃うことで、下りエスカレーターが上りに変わっていくように見えた。
ただ、そこに至るまでは面倒なことも多い。
自分が覚えたことを教える。
相手が挑戦できるように仕事を任せる。
困っていたら手を貸す。
最初は自分でやるより時間がかかる。
思い通りにいかないし、失敗もする。
でも「やっぱり自分でやった方が早い」と全部取り上げていたら、
いつまでたっても一人で走ることになる。
コスパやタイパを気にすること自体はいい。
ただ、目先の効率だけで、人と向き合う手間まで省いてこなかったか。
年を重ねて資格や実績は増えた。
でも、周りには任せられる仲間がいない。
それなら、やれることと、やりたいことだけやってきたのではないかと、
一度は胸に手を当てて考えてみた方がいい。
「自分がいないと会社が回らない」
昔は、それぐらい必要とされる自分になりたかったが、
それは自己満足にすぎないと、今はもうわかっている。
僕が今もしそれを誇っているなら、
自分がいなくても回る会社をつくれていないということでもある。
社員の立場でも同じだ。
自分にしかできない仕事を抱え込んで、必要とされているつもりになる。
でも、それで周りが育たず、仕事も止まるなら、組織のためになっているとは言えない。
年をとっての自己満野郎には絶対なりたくない。
かっこわるいからだ。
自分が自分の一番のファンであり、
アンチであるぐらいがちょうどいいのだ。
とはいえ、仲間がいないという人も、
今を受け入れるところからしかスタートはできない。
知り合いはたくさんいる。
でも、自分が困った時に、格好をつけずに相談できる人はいるか。
逆に、誰かが本当に困った時、自分は相談される人になっているか。
自分では人のために動いているつもりでも、
相手にはそう伝わっていないことがある。
自分が思っている自分と、周りから見えている自分は、案外違う。
そこを耳の痛い言葉で教えてくれる人がいるなら、その縁は大事にした方がいい。
指摘されなくなったことを、認められたことと勘違いしてないか。
自分だけ楽をしようとしたら、仲間はできない。
自分は人を助けないのに、困った時だけ助けて欲しいなんて都合のいい話はない。
安全地帯から「頑張れ」と言うだけでは、助けたことにはならない。
だから、成長を自分の中だけで終わらせたくないし、
社員にもその意識は持ち続けて欲しい。
自分が何を得たか。
それと同じぐらいか、それ以上に自分が誰かに何を残せたか。
自分が関わったことで、誰が何をできるようになったか。
誰かが踏み出す時に、どれだけ力になれたか。
そこまで含めてが、自分の成長だ。
一緒に壁を越えるうちに、任せられることが増えていく。
自分が思いつかなかった方法を、仲間が見つけてくれる。
教えていた相手から、教わることも増えてくる。
そうなると、前に進む力が自分一人の頑張りだけではなくなる。
そうした中で気付いたことがある。
成長と安定は、相反するものではない。
自分一人が頑張り続けることで保つ安定は、
自分が止まれば終わってしまう。
でも、お互いに任せられて、それぞれが育っていくなら、
全員がいつも全力で走り続けなくても前へ進める。
僕が欲しかった安定は、多分こっちだ。
早く気付いた方がいいけど、今からでも遅くはない。
信頼は、今日の仕事の仕方からでも積み上げられる。
さて、もうそろそろ休みたいのでしめようか。
仲間が欲しいなら、まず自分が誰かにとって頼れる仲間になること。
良い人だと思われることより、実際に何をしたか。
「良い人になろうとするな、良い行動を積み重ねろ」
時間も手間も惜しんで、口だけで信頼されようなんて虫が良すぎる。
好感度アップが目的だと伝われば、ただ媚びているだけに見えて逆効果だ。
心の矢印がどこに向いているか。
きれいごとを言っても、矢印がいつも自分に向いている人には、
安心して背中を預けられない。
ここで向き合うべきは、「仲間の成長」。
自分が必要とされることに満足せず、
相手が自分の力で進めるようになることを喜べるか。
強さとは、自分を誇るためのものではなく、
大切な誰かを守るためのものである。
助けられる自分になるために成長する。
そうやって積み上げていくと、
下りエスカレーターダッシュから卒業できるはず。
まあ、コツコツとね。
いつまでも一人で駆け上がり続けることはできないのだから。
あ、龍角散の時間だ。
今日はこのへんで。
ではでは
