日曜ブログの176回目。
福岡での疲労がようやく回復してきた。
今回のセミナーは、事前にレジュメを全部作り直した。
自分では前回の2倍以上良くなったと思っていたので、本番が楽しみなぐらいだった。
これでもし滑ったら、僕を講師に選んだ人が悪い。
そう思えるぐらいには準備が出来た。
(レジュメは良くなっても性格は良くなっていない)
結果、支部の皆さんのご尽力もあり、参加者の皆さんにも積極的に加わってもらえ、笑いもあった。
アンケートはまだもらっていないが、懇親会で「響いた」という声を聞けて、睡眠不足の日々も報われた気がした。
そして、また九州が大好きになった。
なんせ人柄が良い、ご飯も安くておいしい。
偶然にも自分の苗字が佐賀県にあるのもあって
九州は自分のホームにすら感じる。
もし京都を追放されたら九州に移住しようと思っているぐらいだ。
そうだ。
みんなに伝えておきたいことがある。
博多駅には「明喜堂」というお惣菜のお店がある。
うますぎる上に安すぎるので、帰りの新幹線に乗る前に寄るようにしている。
中でもかしわおにぎりと酢もつは絶対に買うべし。
「いつもこんな美味しいの食べてんのか。
すごいねお前たち。」
僕の頭の中の長州力が「マジで飛ぶぞ」と叫んでいる。
ぜひ食べてほしい。
心からおすすめする。
さて本題。
「その『まあ、いいか』はどっちだ」について。
京都に帰って休むことなく仕事に戻ったのだが、とんでもない疲労感だった。
ジムのコーチには、年齢的にもトレーニングの後は48〜72時間ほど回復にかけた方がいいと言われているが、精神的に出し切った後にも、そのぐらいの時間が欲しくなる。
(あと二日酔いの時も)
子供の頃、悟空に憧れて風呂場でかめはめ波の練習をした人ならわかると思うが、
やり切った後には界王拳を使った後のような反動がある。
本番ではスーパーサイヤ人になったぐらいの気持ちになるし、シュワシュワという音だって聞こえる気がする。
もちろんわかっている。
ちょっと興奮して汗をかいているだけで、髪も金色になったのではなく、少し白髪が増えただけだということは。
ただ今回の疲れには、「出し切ったな」と思えるものがあった。
もちろん、疲れれば偉いわけではない。
準備不足でも疲れるし、寝不足なら普通にしんどい。
それでも、納得いくまで準備をして、本番で出し切った後にしか味わえない達成感があることを、僕は知っている。
お褒めの言葉や、成果ももちろん嬉しい。
ただ、それだけで自分の満足度が決まるわけではない。
いくらでも寝ていたいぐらい疲れているのに、気分は悪くない。
今回はようやったなと、自分で思える。
この満足感が結構好きで、
自分が満足出来るかどうかの半分以上は、ここで決まっている。
なるほど。
大して練習もしていないゴルフに出し切った感がないのは、そういうことか。
スコアが良ければ喜び、悪ければ落ち込むが、それは運任せとしか言いようがない。
そら上手くならないわけだ。
準備をすれば、試したいことが出来る。
本番が楽しみになるし、終わった後には次の課題も見つかる。
準備をしなければ、毎回うまくいくことを祈るしかない。
それでは上達もしにくいし、だんだんつまらなくなる。
日頃、社員を見ているポイントに「楽しそうに働いているか」というのがある。
自分で考えて準備したことが、うまくいった。
前は出来なかったことが出来るようになった。
そういう時は、見ていても楽しそうだ。
準備が出来ていないと、目の前の仕事を何とかこなすだけになりやすい。
毎日が出たとこ勝負では、楽しむ余裕もなくなってくる。
だから、楽しくなさそうな人に楽しめよと言うよりも、
ちゃんと準備する方法を教えて、一緒にやるのが一番手っ取り早いのだ。
そして少し億劫になる話だが、経験を積んだり役職が上がったりすると、
任されることも、期待されることも大きくなる。
今までと同じ準備では足りなくなる場面も増えてくる。
なのに「俺は経験があるから」「この立場だから」と、
準備を減らす理由にしてしまう人もいる。
経験があるから準備が早くなるのと、経験があるから準備をしなくなるのは、
全然違うのだが、勘違いする人が多いこと、多いこと。
社長だ、先生、先輩だと呼ばれ、気を遣ってもらえるようになると、
その違いもわからなくなるのかもしれないがそれは勘違いだ。
行きはしないがフィリピンパブに行けば、みんなシャチョさんと呼ばれるらしいし、
桃鉄をやるときはみんなが社長だ。
社長というのも一つの役割に過ぎないし、
先生や講師も、その分野を先に学んだり経験したりしているだけだ。
それで人間として偉くなったわけではなく
何ならあだ名みたいなもんだと思っている。
何を偉そうに言えるんだと思うし、舞い上がっている人を見ると、
詐欺に引っかからないか心配にさえなる。
ただ、僕も社長だ、講師だと気を遣ってもらう立場になることがあるので、油断は出来ない。
準備もせずに偉そうなことだけ言い始めたら、誰か止めて欲しいし、
改善も出来ないようなら潔く引退しようと思う。
おっと、ちょっと話が逸れた。
準備が大事だとわかっていても、面倒なのは面倒だ。
僕も面倒くさがり日本代表とも言えるぐらいの人間だが
意識してやっていることがある。
①まず行動する
②行動しながら想いを込めていく
③本番の場面がカラーで浮かぶまで準備する
④ワクワクした気持ちになる
⑤実行する
⑥振り返って改善する
これをグルグル回している。
特に大事なのは①だ。
最初から立派な想いや、やる気があるわけではない。
今回だって、レジュメを開く前は「そのまま使えばいいのに」と思っていた。
でも一枚触ってみると、ここも変えたい、これも伝えたいと増えていく。
そのうち、参加してくれる人の顔や、笑ってもらいたい場面まで浮かんでくる。
やる気スイッチを探している時間より、とりあえず一枚直してみる方が早い。
想いや意味付けは大事にしている。
ただ、全部揃ってから動こうとしなくていいのだ。
というか、そんなことをしているうちに、挑戦する機会を逃してしまう。
「価値には鮮度がある」のだ。
「意味があるのか」「得をするのか」「面白いのか」と考えるのも否定はしない。
でも、やってみないとわからないことまで、頭の中だけで結論を出そうとするから、いつまでも始まらない。
こんなやり取りをすることがある。
僕が「これ、やってみたら?」と言うと、
「本は読んでいます」「セミナーには行っています」と返ってくる。
それは結構なことだが、
しばらくしてもう一回聞いてみると、また同じ返答が返ってくる。
いや違う。
やってみたのかが知りたいのだ。
「学ぶことが目的なのか?」と聞けば、大体は違うと言う。
でも、いつまでも実行しないなら、そう思われても仕方がない。
みんながあなたの価値だけを待っているわけではない。
吉野家が違うなら、すき家にいくのだ。
くら寿司が違うなら、スシローにいくのだ。
スピードは価値の大きな要素なのだ。
大事なことなので繰り返し言うが「価値には鮮度がある」し
「比較されている」ことも忘れてはいけない。
それらの視点を見落としているからこそ
学ぶことが、やらないことの言い訳になってしまっているのかもしれない。
頑張っている自分を慰めるために、本を読んだり、セミナーに行ったりしても
人の役立てない知識を集めることが個人の趣味なら構わないが
違うならそれはいただけない。
想像して欲しい。
恋愛マニュアルを、暗記出来るほど読んでいるのに、誰にも声をかけない人。
英語の本を読んで、英検も取っているのに、外国人と話す機会をずっと避けている人。
デートをしたい、英語で会話したいと思って始めたはずが、
いつの間にか勉強していることで満足してしまっている。
彼らには毎朝、神棚の前で「何のために?」と100回唱えて欲しい。
(本気で)
人生は短い。
知識を集めることにそんな価値はない、
早く経験に変えて欲しい。
実際、仕事でもセミナーでも、僕自身が失敗したことや、
試して変わったことを話している時の反応が一番いい。
自分で会社をつくって、採用して、失敗して、制度を変えて、また失敗した。
そこで何が起きて、何を考えて、どう変えたのか。
そういう話になると、聞いている人の顔が変わる。
「経験しか勝たん。」
少し乱暴だが、それぐらいに思っている。
残酷だと思うが実際「成功したくて、失敗したくない人」はほぼ失敗している。
やらないからだ。
今、うちの某社員がゴルフにはまって、何百球も練習し続けているらしいが
彼はきっとうまくなると思う。
やっているからだ。
やるべきことはめちゃくちゃシンプルだ。
「体力の続く限り打席に立つ」
頭で学んで、体で覚えるまでやる。
また学んだら、試してみる。
うまくいかなければ、そこでまた学ぶ。
経験がある方が、次に読む本も、聞く話も、
ずっと頭に入ってくるし上達するのだ。
えらい長くなったが、ここまでが一丁目一番地。
(ようやくスタート)
そして、手をつけた後は「どこまで想いを込めたか」だ。
とりあえずやった。
言われたからやった。
それで終わるのか。
どうしたらもっと良くなるか。
どうしたら伝わるか。
そこまで踏み込んでやるのか。
この違いは、本番にも出るし、
思い通りにいかなかった時にも出る。
例えば、あれだけ準備したセミナーが滑ったとする。
悔しい。悔しすぎる。
奥歯が全部インプラントになるかもしれない。
冒頭では、講師に選んだ人が悪いと書いたが、
その日の夜のホテルでは眠れないし、帰りの新幹線でも一人反省会をするだろう。
なぜ伝わらなかったのか、あそこは違う言い方があったんじゃないかと、
2、3日は悶々としてしまうだろう。
想いがあれば、そう簡単には切り替えられないし、
終われないのだ。
「終わったことは仕方がない、まあいいか」
では済ませられないのだ。
もちろん、そんなに努力もしてなくて、どうでもいいと思っていたら
「まあいいか」で済ませられるかもしれないが、
そんな生半可な準備はしたくない。
僕は生粋の負けず嫌いだ。
二度とこんな悔しい想いをしないために、次は何を変えるのか。
具体的に決まるまでは落ち着かない。
自分が恥をかいたことより、
応援してくれた人の気持ちや時間に応えられなかったことが悔しい。
社員には、そんな思いをさせたくないし、厳しく言うときもある。
自分の仕事を誇れるようになって欲しいからだ。
思い通りにいかなかった後にどうするかが成長するかの分かれ道なので、
きっと口うるさく思っているだろうが言い続ける。
「全力でやった失敗はいいが、同じ失敗は二度と繰り返すな」
うちの社員は耳にタコが出来るぐらい聞いている言葉だが
うちで働いている限りはご清聴いただきたい。
さて、今日は宅建試験日だ。
僕にとって大切な人が何人か挑戦している。
資格試験だから、合格を目指すのは当たり前だ。
受かったらもちろん嬉しい。
でも落ちたら、ちゃんと悔しい気持ちは持っていて欲しい。
今回の挑戦を「まあいいか」で雑に片付けて欲しくないのだ。
仕事を調整してくれた人、勉強する時間をつくってくれた家族、応援してくれた人。
自分一人で試験会場まで来たわけではないと思う。
その応援に必ず合格で返せと言いたいのではない。
ただ、自分が費やした時間も、周りが支えてくれたことも、大切にして欲しい。
悔しかったなら、次は何を変えるのか。
感謝しているなら、これからどう行動するのか。
その気持ちが、次の準備に表れる。
「まあいいか」には二つの意味合いがある。
「どうでも良かった」
「やり切った」。
同じ言葉でも、中身は全然違う。
「まあいいか」と僕の前で使う場合は注意して欲しい。
それは全力でやり切った人だけが使っていい言葉だ。
全力で頑張って、それでも結果が出なくて、
自分をそれ以上責めたら壊れてしまいそうなときに使う言葉だ。
自戒の念も込めて。
自分を信じるためにも、
自分を応援してくれる人に報いるためにも。
これ以上ないと思えるぐらい全力でやりたい。
宅建のみならず、
挑戦する人を見るとそんな気持ちを思い出す
そんな秋晴れの日曜日。
VIVANTよりも、
宅建試験日の方がハラハラする。
今日はこのへんで。
ではでは。
追伸
合格したら焼肉おごります。
