日曜ブログ164回目
むむ、暖かいが過ぎる。
温度計が40度を超えているぞ。
社員の外出時、空調服着用を義務付けているけど、それでも危険。
僕らの孫の世代にはもっと暑くなってしまうのでしょうか、
もしそうなら、何か出来ることはないだろうか考えざるをえません。
さて本題。
「演じること」について
自分は昔から良いやつでした。
ウソです(笑)
昔の自分は、全然良い奴ではありませんでした。
今も多少マシになったレベルで、偉そうに言えないことは分かっていますので
ツッコミは不要です。
自分勝手なくせに、人からどう見られるかを気にして、
認められたい、褒められたいと思っているような、面倒くさい人間でした。
人に負けたくない。嫌われたくない。怒られたくない。
舐められたくないという、ほぼ無駄なプライドを守るために
一生懸命にやって、ある程度結果は出たものの、思うほど信頼もされない、仲間も出来ない。
虚しさが募る。
そこで、ある時から「良い人」を演じることにしました。
良いなと思った人の行動や考え方を真似することにしたのです。
足元にゴミが落ちていたら拾う。
悩んでいる人がいたら話を聞く。
誰かが責められていたら矢面に立つ。
困っている人がいたら手を貸す。
人が休んでいる時こそ仕事をする。
本当は面倒くさいと思っていても、「あの人なら、きっとこうするだろう。」
そう考えて動いていました。もうね、完全に演技でした。
とはいえ、やっていること自体は良いことなので、周りからは評価されます。
「優しいですね。」「本当に良い人ですね。」と言ってもらえる。
ところが、評価されるほど自分は疲れていきました。
認められている自分が、演じている自分だったからです。
褒められるほど、「いや、それ本当の自分じゃないんやけどな。」と違和感があり、
褒められているのに、素直に喜べませんでした。
むしろ評価されるほど、演技をやめられなくなる。
良い人でい続けなければいけない。
そりゃ疲れますよね。
そして、ある事(このブログを最後まで読めばわかります)に気付いたのです。
その次は、「嫌われる勇気」を実行するのですが、
長くなるので、そこはまたいつか。
もとい、
世の中には、かつての自分のように相手が求める自分を演じている人が
結構多いと思います。
認められたい。褒められたい。怒られたくない。好かれたい、愛されたい、尊敬されたい。
愛情欠乏とも言えるし、欲の塊とも言える状態。
そしていつの間にか相手が望む自分を演じるようになる。
会社では優秀な社員を演じる。家では良い夫や良い妻を演じる。
人前では優しい人を演じる。SNSでは充実している人を演じるみたいなね。
でも、続けているうちに苦しくなる。
そんな時に、「あなたは、あなたのままでいい。」なんて言われたところでねえ?
本当の自分は、嘘つきで、セコくて、自分のことしか考えていないことを
自分は一番知っているから、そのままでいいなんて言われても、
「いや、それ見せられるかい。」としかならんわけです。
わかる、わかりますよ。
そこのあなた。
(誰?)
とはいえ、私は、「演じること」が悪いとは思いません。
むしろ、最初は演じるべきだとすら思っています。
プロとして振る舞う。社会人として振る舞う。
リーダーとして振る舞う。経営者として振る舞う。親として振る舞う。
最初から全部自然にできる人なんて、いるわけないですから。
「自分はそんな人間ではないから。」と開き直るより、
「そんな人間になりたいから、まず演じてみる。」という方がよっぽど前向きな事です。
ただし、大事なことがあります。
「演じ続けることをゴールにしないこと。」
演じながら、自分の思考そのものを変えていけるか。
ここが大きな分かれ道。
最初は全部演技でも、それを何度も繰り返しているうちに、
ゴミを拾わない方が気持ち悪い。話を聞かずに帰る方が気になる。
責任から逃げる方が自分らしくない。
そう思える瞬間が来ます。
その時こそ、演技が思考に変わった瞬間。
不思議なもので、思考が変わると疲れなくなります。
(疲れているうちは、まだまだ修行が足りんということです)
思考が変われば、行動も自然に変わり、
周囲の評価も勝手に変わります。
このフローは、会社においても活用しています。
例えば「良い人を採用したい」という時、あなたならどう判断しますか?
良い人って何でしょう?
面接で感じが良かった人でしょうか。
笑顔で受け答えができる人でしょうか。
優しそうに見える人でしょうか。
どれも違います。
「言っていることより、やっていること」
いくら良い人に見えても、悪いことをしていたら結局は悪い人。
約束を守らない。困っている仲間を助けない。
陰で人の悪口を言う。自分の失敗を人のせいにする。
それで「根は良い人なんです」と言われても、
知らんがなの世界なのです。
「良い人かどうか」は、言っていることで判断せず、行動で判断する。
これはうちの社員なら、僕から100回も200回も聞いていることだと思います。
困っている人を助けたか。約束を守ったか。
感謝を伝えたか。失敗した時に人のせいにしなかったか。
自分より弱い立場の人にどう接したか。
場合によっては、それを目標、つまりKPIにしてもいいでしょう。
言い換えれば、「良い人を演じること」を行動目標にするみたいなね。
もちろん、良い人の定義は会社ごとに違うでしょう。
売上を上げる人だったり、発明する人だったりね。
ちなみにうちでは
「周囲に良い影響を与える人」が良い人。
だから自分だけじゃダメで、
誰かの働く理由になって欲しいと言っているのです。
まあ、騙されたと思って3年はやってほしいものです。
3年たっても演技のままでは、必ず疲れます。
それは、うちの会社の環境では成長出来ない人とも言えます。
演じなくても、自然にそう動ける人になる。
それは、うちで成長していける人だということ。
今までを見ていて、演じ疲れた人がどうなるかも大体共通しています。
挑戦をやめます。
そして、人を批判し始めます。人の邪魔をします。
挑戦している人を笑います。自分を変えることを諦めて、他人を変えようとする。
結構わかりやすいです。
人を叩く人は、成長しないから叩くのではなく、
成長することをやめたから叩くのだと思います。
最近のSNSみたいなものです。
(あまり見ないけど目に入るのです)
正しさを主張し合うよりも、認め合うことの方がよっぽど価値があるのにね。
論破に何の価値もありません。SNSのインプレッションを稼ぐことや
炎上で影響力を持つことも成功なわけありません。
「日本を良くしたい。」と言いながら、毎日誰かを叩き、誰かを煽り、意味のないモグラ叩きゲームを続けている人達のもっともらしい言葉は全て寝言にしか聞こえません。
あ、これ、叩いていません(笑)
そういう経営者たちの狙いは信者ビジネスですからね。
誰かを敵にした方が人は集まりますし、それが好きな人たちが、
その世界でやるならそれでいいし、そこを否定する気はありません。
でも、自分は絶対にやりたくない。
理由は単純。
「格好悪いから」
時々考えるんです。
もし、小学生ぐらいの自分が、今の自分を見ていたら何て言うだろうと。
毎日誰かの悪口を言って、揚げ足を取って、
論破して喜んで、SNSで拍手をもらっている。
そんな大人になった自分を見て、「かっこいい!」なんて思うでしょうか。
間違いなく「何やってんの、このオッサン。」って呆れてしまうでしょう。
そもそも子どもの頃、私は大人に憧れがありました。
日本人って島国なのに世界トップレベルで、それを作った大人ってカッコいいと思っていたし、
自分もそういう大人になりたいと思っていました。
なので今も、少年の自分に申し訳なくなるようなことはしたくないのです。
そう結局、そこなんだと思います。
「ありたい自分」
この言葉に全部つながります。
少年の自分が、「かっこいい」って思ってくれるかどうか。
人の評価はいくらでもブレますが、その基準ならブレませんからね。
そして、現在進行形で演じることに疲れている人へ。
褒められるため。嫌われないため。評価されるため。
ゴールが他人だと、演技は終わりません。
疲れますよね。
でも、「ありたい自分になるため。」
そう思えた瞬間、演技ではなくなっていきます。
今日の自分が、昨日より少しだけ、ありたい自分に近づいている。
そう思えたら、人は不思議と前向きになれます。
演じることは、自分に嘘をつくことじゃない。
「ありたい自分」の行動を、先に始めることです。
その姿にワクワクできるうちは、少しずつでも必ず近づいていける。
私は、そう信じています。
そして少年だった頃の自分が、
「オッサン、中々やるやん。」
そう言ってくれたら、それで十分です。
今日はこのへんで。
ではでは。
今週の Q&A
Q.「ありのままの自分」でいることは大切ではないのでしょうか?
A.もちろん大切です。でも、「ありのまま」を成長しない理由にしてしまうのは違うと思います。
今の自分を認めることと、今の自分で満足することは別。
「ありたい自分」を育てていく人生の方が面白いと思いますよ。
まあ結局、どっちを選んでも結局しんどいわけです(笑)だったら、面白い方がいいなと思いませんか?
そうだ、「ありのままの自分を受け入れる」という名の勇気は絶対必要になるのでお忘れなく。
