日曜ブログの156回目。
映画「正直不動産」を見てきました。
この業界26年目、現役である限り学べるものは学び続けるのが
プロとしてのエチケットということで、ポップコーンも食べずに真面目に見ました。
(食べるならキャラメル味を選びます)
感想としては大袈裟だなと思いつつも、これぐらいの表現の方が
イメージに合うんだろうなと妙に納得したり。
ま、何より「正直」ってフレーズはいいですよね。
好きな言葉の一つに「至誠、天に通ず」というのがあります。
嘘を付かないこと、誠実であることの価値はどんな仕事であったとしても
何よりの武器になります。
ウソをついたり、ズルをしたり、人を騙して、
一時的に金や名声を手に入れる事があっても、
あぶく銭はあぶくにしかならないし、人から奪ったものは人から奪われるだけですからね。
「正直である事で損をしたり、遠回りする事があると思うけど、
それが結局一番の近道になるんだよ。」
もしタイムマシーンがあって過去の自分にアドバイスするならそう言うかな。
20代のうちは「何で自分だけが」とか「搾取された」とか思うぐらいで丁度いいと今なら思えるからです。
たとえ搾取されていたとしても、その環境で得られる経験値も感情も後に見返す原資になります。
とはいえ見返せるようになった時、
既に見返したいという気持ちなんて無くなっているから人間って不思議なものです。
そんなの今が幸せだから、そう思えるだけでしょう?
と思っているそこのあなた。
もし今がまだ幸せじゃなかったとしても、他者に「正直」であることは当然として、
何より自分自身に対しても「正直」であり続けることをおすすめします。
さて本題。
「良いルールと悪いルール」について。
私の日々の生活には、いくつかのルールがあります。
毎日、摂取カロリー、PFCバランスは数値以内に抑える、運動量、英語の勉強、読書とか。
それらに派生してお酒は「週に1回」とか、全社イベントだとノンアルで過ごすとか。
周囲の経営者からは「もっと飲み食いして遊んだ方がいい」とか「ストイックで続かないんじゃないか」なんて言われることもありますが、その方が圧倒的に人生を楽しめるからやっているだけです、ご心配なく。
何でも手に入る、いつでも遊べる、いくらでも食べられるのが
世間的には幸せな状態だと思われがちですが、そうは思いません。
きっとただ飽きてしまうだけで、感動しなくなるし、怠けるし、太るし、病気になるし、人間腐るし、会社も衰退するでしょう。
携帯、SNS、ネット。努力せずに脳からドーパミンを出す代物がありすぎる世の中です。
刺激や快楽を得るたびに不感症になって、もっと楽して、もっと刺激をとなるわけで、中毒というかドーパミンに操られているようにすら見えます。
いるでしょ?携帯に操られているような人。ああはなりたくないのです。
自分の意思で生きるのが我が「アマノジャク協会」の掟ですから、
「苦労を伴わない刺激や快楽」はいりません
(キッパリ)
極論、当たりが確定した宝くじも、何の苦労も経験値もないし、面白くないからいりません。
だから相続も二回放棄しているわけです。
人間関係だってそう。
「お金があるから」の繋がりには全く魅力を感じません。
贅沢な料理も、お酒も、そこで出会える人もどうでもいいです。
同じくそこに「努力」も「苦労」もないからです。
たとえ貧乏でも、近所のスーパーを一緒に散策するだけでも楽しいとか、卵かけご飯しか食べられなくなったとしても、それを楽しく感じれるように工夫できて、幸せを共感できる関係性の方がよっぽど素敵です。
まあ、とりあえず山登りでもして山頂で食べる塩味だけのおにぎりの旨さを
知ってください。
「苦労を乗り越えた先に本当の喜びがある」
それは何となくわかるけど苦労なんてしたくないし、リスクもとりたくない。
でも人並以上には活躍したい。
そんな欲に負けずに成長するためにルールが必要になってくるわけです。
これは仕事や経営でも同じことが言えます。
随分前に、ラグビー元日本代表ヘッドコーチであるエディー・ジョーンズ氏の本を読みました。そこにあった「規律」についての考え方が考えていることにリンクしていました。
「強いチームには規律(ディシプリン)がある」
ラグビーは、一度試合が始まれば監督はピッチに入れず、手取り足取り指示を出すことはできません。
選手たちが自ら考え、判断し、決断を下さなければならない。だからこそ、強いチームには上から縛り付ける
「ルール」ではなく、選手一人ひとりに根付く「規律(ディシプリン)」が絶対に必要と書いてありました。
さて、ルール、制限、規律。これらの違いとはなんぞや。
あくまで私見ですが「ルールという大きな箱の中に、2つの種類がある」と解釈しています。
一つは、「制限(罰則)」としてのルール。
「〇〇してはいけない」「破ったら罰する」という、人を縛ってしまうネガティブなルールです。日本の、特に老舗の会社は「制限(罰則)」が多く減点主義になりがちです。それでは社員が萎縮し、組織が伸び悩んでしまいますよね。
もう一つは、「規律」としてのルール。
これは「これを守ればみんなが良くなる、成長する」という、ポジティブなルールです。うちの会社で基礎的なもので言えば「大きな声で挨拶しよう」とかですね。エディー氏が言うように、強いチームに本当に必要なのは、制限ではなくこの「規律」の方なのです。
うちの会社で徹底して進めている「属人化の排除」や「バディ制度」も、一見するとやり方を統一しなきゃいけないという面倒くさい制限に見えるかもしれませんが、
これは罰則のためのルールではなく、みんなが幸せになるための規律です。
規律がないと「何も気にせず好きなようにやる」人が現れます。
責任感なくやりたい事だけやって結果が出たら自分の手柄、
結果が出なければ会社や誰かのせい。
「ルールなんて嫌だ、自由にやらせろ」と属人化を進め、
自分が休みたい時に休めず、結局は仕事やトラブルに縛り付けられることになります。
自分しかできない業務を抱え込んで、休むに休めない状態になります。
社員が自由を求めて不自由になってしまうのも、根本的に言えば
規律がないからなってしまうので経営者の責任と言えます。
「自由には責任が伴う」とよく言いますが、それに付け加えるなら
「自由には責任が伴い、実現には規律が必要」なのです。
個人で言えば、健康を自分で管理する規律があるから、ベストパフォーマンスを発揮できる。
チームで言うなら、規律があるから指示を待たずとも現場で判断ができ、働きがいを実感し、自律した存在になれるし、気兼ねなく有給を取って家族も大事に出来るわけです。
罰するルール(制限)なのか、成長するルール(規律)なのか
今日はこれが大事って事を言いたかったわけですが
これを上手く機能させるためには一つ重要なコツがあります。
それは「ルールを作るけれど、作りすぎない」ことです。
そして「時々、ルールの断捨離をする」ことです。
ルールというのは厄介なもので
放っておくと変化していきます。
最初はみんなが成長する「規律」として作ったはずのものが、
いつの間にかただの「制限(罰則)」に変わってしまう。
「あれ?このルール、もう誰も幸せにしてなくないか?」と思ったら、
規律ではなく制限(罰則)になった証拠。躊躇なく捨てるべし。
特に経営陣は敏感でいて欲しいと思います。
なぜなら思った以上に社員はルールを守ろうとするものだからです。
うちはビシバシ私がルールを変えようとするので社員は大変だと思います。
でもいいのです。
「強いものが生き残るのではなく、変化出来るものが生き残る」
その訓練みたいなものです(笑)
数は関係なくて、本当に大切な規律があればいいので
ミニマリストを目指すくらいの方が健全に変化していきます。
うちの会社で言えば大元の規律を辿れば、この二つに収束します。
「ヒトの可能性を最大化する」
「面白い事は良い事だ」
そして、これはうちの社員へのアドバイスです。
私を説得したいときは「これで可能性を最大化したいです!」「これで面白くしたいです!」から展開すると
より聞く耳を持つと思うので覚えておいて下さい。
もとい、
規律で欲をコントロールしている状態が自律。
それはイメージでいうなら「乗馬」です。
自分が馬の手綱を握っている姿を想像してみて下さい。
馬が「欲」で、規律は「手綱」で、制限(罰則)は「ムチ」。
ムチ(制限)を使って無理やり走らせるのは限界があるはずです。
かといって、手綱を放り投げて馬(欲)の暴走に身を任せていたらすぐに落馬して怪我をするだけ。
自分の意思で、行きたい場所へ行くためには規律という手綱を握り、
馬を乗りこなさんとあかんわけです。
人生は中々のじゃじゃ馬ですが乗りこなして楽しんでください。
手を変え、品を変え、手綱(規律)を変えながら。
どうせやるなら楽しくやりましょう、
変化を楽しめるぐらい進化してやりましょう。
今日はこのへんで。
ではでは。
今週のQ&A
Q:「断捨離」した会社のルールや、個人のルールはありますか?
A:長時間の会議や、形骸化していた報告書や、機能性を失った業務フローなど
気付けばすぐ無くします。すぐ捨てよう、やめようとするのでたまに社員に止められるぐらいです(笑)
個人のルールは大体目的が健康や成長、自尊心に基づくものですが同じくあまり増やさないようにはします。
ちなみに、「見栄」に基づくものはすぐ捨てます。
