日曜ブログ165回目。
天気予報は38度。
でも私の車の外気温計が示した数字は17時でなんと45度。
39度の!!
とろけそうな日♪
なんて歌詞ありましたが、
45度だったら溶けて蒸発してしまうので
歌にもならないのではないでしょうか。
ワールドカップロスで見ていない自分が言う権利ないですが。
甲子園はナイターか、ドームでやらんと危険すぎないかと心配しています。
あと皆さん。
40度超えた状態でハンディファンを使うと熱中症を誘発するそうな。
油断したらぶっ倒れてしまいそうぐらい暑いのでゆっくり歩きましょう。
人間は30度を超えると自律神経が乱れ、疲れてイライラする生き物です。
つまりこの猛暑の中、外出するという事はイライラしに行くようなもの。
日中怒られたとしても、それはあなたのせいではなく夏のせいかもしれません。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
そんな人間に私はなりたい。
さて本題。
「何者かになりたい」について
最近、知人が大病を患うケースが増えています。
癌、心筋梗塞、脳卒中などなど
「無茶や我慢は出来て50歳まで」というノストラ唐津の予言は結構当たっています。
私自身も2年前からめちゃくちゃ気を付けているものの、
周囲でそういう話を聞くたびに、警戒心が増していきます。
とはいえ、
もちろん誰だって病気は嫌ですけど、病気にならない人などいません。
強制的にシャットダウンしたようなもので、しっかり休むようにという
体からのメッセージだっていう人もいますが、概ね賛成です。
自分と向き合う良い機会にもなりますし、そう思った方が健全です。
今回、病気になった知人から
「人生は無限ではなく、有限。」
という言葉がありました。
この言葉。
もう何万回も自分の中で反芻した言葉でして、昔の自分を思い出しました。
実は私は、小学二年生の時に大きな手術を受けています。
幸い今は元気に生活していますが、その時に医師から言われた言葉はコチラ。
「再発する可能性があります。」
子どもながらに、重い言葉で忘れた事はありません。
でも、それ以来「今日という一日は、当たり前じゃない。」
という感覚を持ちながら生きてきたように思います。
まあ綺麗事ばかりじゃなくて、良い事も悪い事も沢山ありました。
「再発したら仕事が出来なくなるかもしれない」
という恐怖感は結構大きなものだったので
若い頃の私は、とにかく早く何者かになりたかった。
成功したい。
認められたい。
人より前へ進みたい。
でも今振り返ると、「何者かになりたい」という考え方とは少し違う答えにたどり着いています。
(もちろん、自分が何者かになったなんて思ってはいません。)
周囲には世間的には「何者かになった人」が何人かいるのですが
そこには私が本当に欲しかったものはありませんでした。
「何者かになりたい」は、目的ではなく手段で
本当に求めていたのは、「人生をやり切ること」
コレだったのです。
いつ人生が終わったとしても、「ああ、面白い人生だった。」と後悔の少ない人生で、
何ならなるべく多くの関係者の方々に惜しまれたいのです。
だからヤングでキュートだった頃の自分に言いたい。
「何者かになれば、後悔しない人生になる。」なんて事はないぞと。
(そう信じて走っていて良かったので結果オーライなんだけど)
ただアラフィフに近づいた今、その考えが変わったってだけで
今、私なりの答えはこうです。
後悔しない人生は、何者になるかではなく、毎日をどう生きるか。
何を積み重ねて、何をどう残せたか。
社員と本気で向き合えたか。
お客様の役に立てたか。
大切な人と笑って過ごせたか。
今日という一日を、自分らしく使い切れたか。
前のブログにも書いていますが最近は、
「この有限の時間を使って人生何を残せるだろう。」
ってことを考える時間が増えました。
「残す」のは、お金でも会社でもありません。
子どもにも、「財産が貰えるとか期待しないように、人生は自分の力で切り拓いてなんぼ」と伝えています。
ダイウィズゼロの方針です。
もとい、
人生のイメージ。
人生は花火みたいなものだなとイメージしています。
本当一瞬だなと。
力強くて、綺麗で、儚くて。
夜空を照らす時間なんて、本当にわずか。
でも、印象に残る花火ってありますよね?
何年経っても思い出しませんか。
「あの人のおかげで勇気が出た。」
「あの時の言葉を今でも覚えている。」
「あの人と仕事ができて良かった。」
「あの人と出会えて良かった。」
そんなふうに、誰かの心の中で何度も鮮明によみがえる。
そんな花火のような人生が理想です。
生き急いでいるねって何度も言われますけど、全く急いではいません。
ただ、一日を使い切って花火を仕込みたいのです(笑)
おかげさまで、幼い頃の自分とは違って今は明日を恐れてはいません。
ただただ、今日という一日を有り難く感じる事が出来ています。
そして、残された時間の中で
誰の心に、どんな花火を打ち上げられるだろう。
って考えるとワクワクが止まりません。
伝えたいことを伝えて、
やりたいことをやり切って、
できるだけ多くの仲間の心に残る花火を打ち上げられたなら、
それだけで、私の人生は上出来。
何者かにはなりません。
私は私をやり切ります。
今日はこのへんで。
ではでは。
【Q&A】
Q1. 「何者かになりたい」と思うことは間違っていますか?
A. 全く間違っていません。
私自身、その思いがあったから今があります。
ただ、それは人生の目的ではなく、自分にとっては「人生をやり切るための手段」でした。
Q2. 「今日を使い切る」とは、無理をすることですか?
A. 違います。
明日を恐れて焦ることではなく、「今日という一日を大切に生きる」という意味です。
休むことも、笑うことも、挑戦することも、その日の自分を精一杯生きること。
私にとって「使い切る」は、「楽しみ切る」とほぼ同じ意味なのかもしれません。
会社では毎日、社員一人ひとりの喜怒哀楽に振り回されながらも、それすら思い切り楽しませてもらっています
