久しぶりに映画を観に行ってきた。
踊る大捜査線。
懐かしさもあって、観ながら色んなことを考えた。
もう30年近く前からあると思うと、まさに自分の人生のど真ん中にずっとあったわけで、
人生にめちゃくちゃ影響を与えた作品と言っても過言ではない。(と海猿も)
「この映画、昔見に行ったな」
と妻に言ったら、
「私は見に行ってないけど。誰と行ったんだか」
と言われた。
夫婦の危機という意味でも人生に影響を与えた作品ではあるが、
今日はそんな話をするつもりはない。
踊る大捜査線には、今でも覚えているセリフがたくさんあり、
今日はそれにまつわる話をしよう。
まず、最初はやっぱりこれ。
「青島、正しいことをやりたかったら偉くなれ」
若い頃の僕にはめちゃくちゃ刺さった。
悔しいけど変えられない現実があるのは、自分が組織の中で下の立場だから。
実力が足りない。結果が足りない。信頼が足りない。仲間が足りない。
上に文句を言うより、足りない自分に集中した方がいい。
そんなことに気付かせてくれた言葉でもある。
思い返せば、当時20代前半の僕も、
やりたいことをやりたくても出来ない現状にずいぶん葛藤していた。
情報格差を利用した仕組みや、既得権益の中で誰かが得をして、
誰かが損をする構造を目の当たりにして、まあ揉めに揉めた。
嘘をついて仕事をしたくない。
ただ素直に生きたい。
それが自分の中にある「正義」だった。
もちろん今振り返れば、当時の自分の見方が全部正しかったとも思っていない。
若かったし、世の中を白か黒かで見過ぎていたところもある。
正しいと思ったら真正面からぶつかって、無駄に敵を作ったこともたくさんあった。
「正義なんて口にするな、死ぬまで心に秘めておけ」
これも「踊る」のセリフだが
若い頃の僕はこの言葉の意味がよく分かっていなかった。
正しいと思うなら言えばいい。
間違っていると思ったら戦えばいい。
そう思っていた。
でも今なら分かる。
正義って、人に認めてもらうために掲げるものじゃない。
ましてや、自分の正しさを証明するために相手を叩くものでもない。
自分の中で「ここだけは曲げない」と決めて、誰に見られていなくても守り続ける。
きっと、そのぐらいでいいんだと思う。
「もう少しうまく立ち回れ」とか、「ずる賢さも必要だ」と何度も言われたのに
まったく随分遠回りしたものだ。
ただ、うまく立ち回ることと、自分を曲げてしまうことは違う。
一度曲げてしまっていたら、きっと僕は僕を信じられなくなっていただろうから
遠回りも含めて、それで良かったと今は言える。
(おすすめはしない)
とにもかくにも、現場で「何でやねん」と思いながら、
それでも目の前の仕事を何とかしようとする青島に、若い頃は自分を重ねていた。
でも経営者になった今は、室井の立場がすごく分かる。
現場を信じて任せる。そして、任せた結果の責任は自分が取る。
細かいことまで全部自分で決めるのが責任者ではなく、
仲間がやりたいことを思い切って出来る環境を作り、最後は自分が引き受ける。
それが、上に立つ人間の姿だと室井から学んだ。
昔から好きだったシーンがある。
「リーダーなんかいるから個人が死んでしまう」
と主張する犯人に対して、
「リーダーが優秀なら組織も悪くない」
と青島が返す。
何度見ても痺れるシーンだ。
組織にいるから個人が死ぬんじゃない。
任せてくれる人がいて、その人を信じられるなら、
組織だからこそ一人では出来ないことが出来る。
僕が作りたかった組織の理想像は、ここにある。
そして次に、
役職が上がるにつれて気を付けないといけないことも学んだ。
組織の腐敗はトップから始まる
「リーダーが優秀なら組織も悪くない」の裏返しで、
トップがおかしくなれば、組織も少しずつおかしくなっていく。
現場にどれだけ正しいことを求めても、
上にいる人間の言っていることとやっていることが違えば、言葉なんて何の意味もない。
「お客様のために」と言いながら自分は損得で動く。
「挑戦しろ」と言いながら失敗したら怒る。
「仲間を大切に」と言いながら、実際は使い捨てにし、自分だけ特別扱い。
そんなことをトップがやっていたら、現場はまともに機能するわけがない。
若い頃の僕は「責任者が責任を果たしていない」とよく思っていた。
その思いは社長だから、偉い人だからって凄いわけじゃないと発展していった。
だったら自分の力で凄くない人でも凄いように見せてみせると
割り切って働いていたのを覚えている。
でも感謝している。
任せるのと責任を取ることの違いが良く分かったからだ。
責任を取ってくれない環境で働いたからこそ
自分はその環境とは違う環境を実現する気持ちが強くなった。
そして今は、その責任を果たす立場に自分がいる。
「誰のせいにも出来ない」という独特の圧力のようなものは勿論。
想像していたのと全く違うし、責任取れだの、果たせだの言っていた自分が恥ずかしくなるぐらい
そもそも責任を取るのも、果たすのも結構難しい事で
やりたくても出来ない人は出来ないことも知った。
だからなってみないと分からないの世界と言わるんだろう。
もとい、
会社で起きること全てと言っても過言ではないぐらい、
組織の空気はトップ、そしてリーダーの言動から作られていく。(特に創業者は)
だから現場の正義(やりたいこと)を守りたいなら、
室井のように、まず自分が一番自分を律しないといけないと思った。
そんな理想を追いかけて上を目指した結果、
組織からはみ出して独立起業までしてしまったわけだけど、
今もやろうとしていることはあまり変わっていない。
「俺に部下なんていない、いるのは仲間だけだ」
今も求め続けているのは仲間。
お金も地位も名誉も、自分にとっては豊かさでもなければ、カッコよさにもならない。
背中を預けられる仲間がいることこそが、豊かさであり、カッコよさで
人生の宝だと思っている。
昔は自分がそんな仲間に出会いたいと思っていたから、
社内のみならず社外でも仲間を作ろうとあれこれ動いた。
今はそんな仲間が生まれる環境を作ることが、
自分の役割だと思っている。
正しいことが、楽しく出来る。
そんな仕事を実現したい。
ただ、楽して楽しく生きられるほど人生は甘くない。
楽しく生きるってのは、結局楽ではない。
苦労と幸せって、セットになっている。
苦労だけを避けて、幸せだけ欲しいなんて、都合よくはいかない。
苦労から逃れ続けようとするのは、太陽と鬼ごっこしているようなものだ。
でも、そこで諦めるのは勿体ない。
ちゃんとその鬼ごっこを楽しめる方法がある。
それは、しんどい時に一緒に笑える仲間がいること。
それで人生はずいぶん違う。
「あの時しんどかったな」と後から笑える仲間がいるなら、
その苦労もまあ悪くないと思える日が来るし、
何ならそれがネタ(魅力)になる。
そんなことを、
うちで働く中で体感してもらえる環境を作りたい。
とはいえ、まだまだ道の途中。
困難も山積みだし、自分自身も全然完成していない。
しんどいなとか、疲れたなとか、正直思うこともある。
でも、そんな時にも思い出すセリフがある。
「死ぬ気になれ。
死ぬ気になったときだけ生きられる。」
なんとも暑苦しい言葉だけど、
この言葉を思い出すと、不思議と力が湧いてくる。
どうせ最後は死ぬんだから思いっきりやろう。
いつ死んでも後悔のないように生きよう。
自分だけ生きられたらいいやなんてダサい生き方は絶対にすんな。
と、リトル唐津が騒ぎ出す。
、、、、と
ブログを書きながら、
自分でもこんなに「踊る」の影響を受けている事に驚きを隠せない。
20代は、青島の言葉ばかりが刺さっていたが今観ると、室井や和久さんの言葉が刺さる。
きっとあと10年、20年経ってまた観たら、今度はまた違う気持ちになるんだろう。
作品は変わっていない。
変わったのは自分の方だ
そう思うと、歳を重ねるのもなかなか悪くない。
きっと「踊る」から学んだことはまだまだあるけど、
今日はこのぐらいにしておこう。
良かったので、もう一回映画館に行ってみようと思う。
シルバーウィークには昔のシリーズも見直してみようかな。
その前に、
昔の映画を誰と観に行ったのかだけは、
今後の為にも、もう少し思い出しておいた方が良さそうだ。
今日はこのへんで。
ではでは。
今週のQ&A
Q. 正しいことを貫くと、損することもありませんか?
A. あります。
正しいことを貫くというスタンスの人は僕は好きですけど
貫きすぎないにしましょう。ただの視野の狭い、面倒くさい人になります。
「譲れないもの」が多すぎないかチェックしましょう。
譲れるようになっていくと損得なんて意識せずいられるし、
相手の感情を理解できるようになります。
結局みんなそれぞれ「正しさ」があるので、
好き嫌いあってもいいけど、理解しようとするのがコツ。
理解した上で「譲れないもの」に悪影響な人だったら、しっかり距離をとりましょう。
それでもどうしても避けられない戦いなら、中途半端はせずに
■■■ぐらいの覚悟でやりましょう。
僕は理解はしますが、「ずっちー人」とは付き合いたくないな。
