日曜ブログの145回目。
どうもこんにちは。
目を見ないで挨拶したり、してもらった事に対しての御礼が出来ない社員が
いると黙っていられない唐津です。(もともと私は短気です)
アンガーマネジメントで5秒待つという手法がありますが、
0、2秒で口に出してしまうので、社員は特に気を付けて下さい。
そして、そんな私の怒りの沸点までのスピードよりも速いものがあります。
それはAIの進化のスピードです。
逆に、人間の劣化のスピードも凄いように見える今日この頃。
「10年後には、日本の労働人口の約半分(49%)の仕事がAIに代替されてなくなる」そうです。
AI失業ってやつですが私は「自分で考えない人間の仕事から順番に奪われていく」という風に受け止めています。
パスカルの有名な言葉に「人間は考える葦である」というのがありますが、AIに頼り切って考えることをやめてしまった「考えなくなった葦」は、果たして人間と呼べるのでしょうか?
便利だと思う反面、明確にある部分に違和感を覚えています。
それは「上手くいかない悩み」などについては、恐ろしく論理的に「あなたが悪くない理由」を提示して優しく寄り添ってくれることです。
「それは環境のせいです」
「相手の熱量が足りないからです」
確かに一理あるし、一時的には癒されるのですが
そんな「心地よい他責」に甘えとって成長するわけはないですね。
AI依存が強すぎて、協調性を失った人。個性が死んでしまった人増えていますよね。
(私はこれをAIゾンビと名付けます)
めちゃくちゃ萎えるのは私だけでしょうか?
携帯、SNS、AIなど、まあ上手に依存(ゾンビ化)させるように出来ていますよ。
何の努力もせずとも賢くなれるなんてあり得ないし、胡散臭すぎるのにね。
なので私は使いはするけど、任せる事はないってスタンスで
しばらくやっていきます。
さて本題。
「他責がいいのか、自責がいいのか」について。
注意:今日のブログは長いです
20代の頃の私は全てに対して短気でした。
正直言って嫌なやつでした。
「俺は間違っていない、俺は正しい」
「相手が怠けている、熱量が足りない、不誠実だ」
そんな思考に支配され、「病気かな?」と思うぐらいキレ倒していました。
当時の関係者の皆様には、今でも申し訳ない限りです。
とはいえ、別にキレたくてキレていたわけではありません。
「そんな甘い考えや行動をしていたら、通用せんくなるぞ」という危機感からの怒りだったり、
たまに空気が凍りつくぐらいに引き締めるのも、自分の役目だと思っていた節もあります。
まあ、それでも嫌なやつですけどね。
そんな自分だったから、今でも自分のことを「そんなに良いやつじゃない。でも、そんなに悪いやつでもない」と評価しているわけです。
しかし、創業してから3年後。
とある事件をきっかけに考え方がガラッと変わり、今となっては「社長、全然怒りませんね」と言われるようになりました。
社外の方からも「怒っている姿が想像出来ません」とか言ってもらえることが多いです。
ちっちっち。
違います。
短気はそう変わっていません。
でも何でもかんでもキレなくなりました。
(温厚に見えるのは良いことです)
思い返しても10年以上はマックスで怒っていないはずです。
「人間そんなに変わらない」
よく聞く言葉ですけど
自分の経験談から言えばそれは違うと確信しています。
「自分が望むタイミングで人は変わらないが、
相手のタイミングと、考え方や行動次第でなんぼでも変わる」
なぜ自分が変われたかというと、
下記の気持ちを綺麗さっぱり消せたのが大きいと分析しています。
・自分のような考え方や熱量を持って欲しい
・上手く行かない理由を「誰か」に持っていく
・人を変えようとする
そして当時の私は、寝食も惜しんで熱量高くやっている
自分自身に「免罪符」を与えていました。
・俺のせいじゃない。俺は十分頑張っている
・経営者だから全ての責任は自分にあるけど自分は悪い事はしていない。
・むしろ相手がちゃんとしていたらこうはなっていない。
このようなクソダサい考え方から
卒業し、こうなりました。
・自分の好きで寝食を惜しんでやっているだけ。
・自分で意思で決断して、責任を負っているだけ。
・自責だからと言って、自分が悪いとか、批判されていると思う必要はない。
・相手が変わる事を期待するのではなく、自分が変われる事にフォーカスする。
経営をしていて実感している本音を少し書いてみます。
・華やかなイメージとは異なり「泥くさい仕事」のオンパレード。
・「これだけ語ったから伝わっただろう」という圧倒的な錯覚。
・「給料を払う側と貰う側」の間にある経営者と社員の自覚の違い。
・思っているスピードの半分以下ぐらいでしか物事が進まないジレンマ。
・毎年黒字経営と言っても、体感的に「上手く行かない事が8割」。
このように理想と現実のギャップなんて日常茶飯事で、
以前はそれにテンションが揺れていましたが、今となってはもはや友達みたいなものです。
ギャップはつまり、伸びしろ。
上手くいっている2割は、いわば種から出ている「芽」のようなもの。
大事にすべきはその芽だってことに気づいたのです。(思い込むようにしたのです。)
ネガティブな思考は、熱量の分だけ芽を腐らせてしまいます。
結局、事業も組織も十人十色で、比べればいくらでもマウントを取れたり卑下できたりするけど、そんな「生産者の都合(理想)」は種には関係ないのです。
「どんな種でも立派に咲き誇れるように出来る、良い生産者になる!」
そう思うなら、誰かと比べたり、理想と現実のギャップに苦しむ暇なんてなくて
現実(自分や種の成長)を直視するしかないわけです。
だから自分は自責がいいと思う派。
ただ「自責は卑下でも自虐でも批判でもない」ってことは大事だから繰り返し言っておきます。
自責ってのは、「現在地の確認」です。
リーダーが現在地の確認しないでどこへ行くの?
仲間からしたらさぞかし迷惑でしょう?
そして結果として言えるのは、
「他責より楽」ってことです。
だって、人を変えようとしても変えられないし、
過度な期待を持つことは自分も他人も傷つけてしまうでしょ?
それにどんなに個人が立派でも、仲間のせいにする人と信頼関係を作りたいと思わないでしょ?
「自分に何が出来ただろうか」
「俺たちに何が出来たらこうはならなかったか」
「同じ失敗は2度と繰り返さない」
ダメな理由をさっさと集める。
見つかったら原因を潰すことに集中するだけ。
シンプルでしょ?
出来なかった理由や失敗を引きずり続ける人もいますがそこにこだわる理由はなに?
慰めて欲しいの?しないよ。
同情は見下しているのと同じ意味なんでね。
そんな我が社にはこんな合言葉があります。
「犯人探しをするな。原因を見つけて、改善策を作って、組織として挽回する」
失敗した過去にフォーカスする時間を最小化させて、
いかに早く改善した未来へ目線を切り換えられるか。
この仕組みを回すために自責であるということは必須なのです。
まあね、確かに自責はシンプルだけど、
とはいえ経営者には特有の疲労があるのはわかります。
褒められたい
認められたい
癒されたい
多くの経営者からもこんな言葉は聞くし、自分も勿論理解出来る。
大切な誰かが上記を満たしてくれるならそれはそれで良いのですが、
どちらかと言えばそうじゃない人の方が多いのも知っています。(夜の街に行ったりね)
そうだとしても、一番の下策は
「不特定多数、もしくは大して自分を知らない人に満たしてもらおうとすること」
効き目の短い鎮痛剤みたいなもので何なら毒にもなります。
なので私は、誰かに求めるのではなく、自分に求めるようにしています。
だって自分を一番知っているのは自分ですから。
すると、チヤホヤされたとしても舞い上がらなくて済む。
(そして立派なアマノジャクが出来上がるのです)
「自分で自分を褒めたい」
そう思える瞬間が人生でどれだけあるか。
出来るだけ沢山集めてやろうと妄想しながらやっていますよ。
あとね自分で自分を褒めれる状態の時は「相手にとっても心許せる人」にもなれるように思います。
何かこの人には何でも相談できるなーみたいなね。
そう、他責が絶対ダメってわけじゃなくて、どうしてもつらい時に愚痴りたい時だってありますよね?
それはいいんですよ。
一瞬他責になるけど、最後は自責で終われたらね。
辛い一瞬を受け止めてくれる、そんな仲間がいるといいし、
そんな人に自分もなれたらカッコいいでしょ。
最後に、今日は何が言いたかったかっていうと、
「誰かにもらった元気は、誰かに奪われる。
元気は自分から湧き上がってくるようにしましょうね」
ってこと。
AIや他人がくれる「心地よい他責」に、自分の人生のハンドルを任せちゃダメ。
人生の責任は自分しか取れません。
自分の人生のハンドルは、自分でしっかり握ること。
人生のドライブに自動運転機能はありません。
今日はこのへんで。
ではでは。
【今週のQ&A】
Q. 「会社に『いつも他責にする人』がいる場合、どう接するのが正解でしょうか?」
A. 「仕組みで改善出来ますけど、長くなるのでそれはまた今度。
相手に直接伝えられるなら伝えたらいいと思います。
ただ無理せず伝えられない人は距離をとりましょう。『人は自分のタイミングでしか変わらない』ので。
他責にする人を変えようとイライラするのも、実は『あいつが変わってくれないせいだ』という『他責』に陥っていますからね。
相手をコントロールしようとするのをやめる。自分にできる改善だけに集中する。これが一番の自衛策であり、自責の第一歩です。」
